ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

「守りに入る」って本当に守れてるんですかね

先日知人と近況の話をしていて、知人は新たに資格を取る勉強をしているとのことで、僕は最近ポッドキャストを始めたという話をした。その際「年取ると守りに入って新しいチャレンジしなくなるからお互い気をつけていこう」という話をされ、そうっすねなどと返していたが、よく考えると「守りに入る」ってのはどういうことなのかわからなくなってしまった。新しいことにチャレンジしない=守りに入るというのはわからなくもないのだが、それって本当になにかを「守れている」のだろうか。

例えば僕がポッドキャストを始めたきっかけは単に「生活が死んでるので精神安定のために新しいチャレンジをする」というものなので、ここで守りに入っても僕の精神は死んだままだし、知人が資格を取ろうと勉強しているのは自身の市場価値を上げるためなので、そこで守りに入っても市場価値は上がらず年々体力の衰えと戦わなくちゃいけない。守りに入るというのは本来勝ち筋を超えたラインまで総取りしようとせず勝ち筋までしっかり取ろうということだと理解しているが、個々人の話になると「新しいことをやって幅を広げるか」「今の分野で専門性を高めるか」をしないと勝ち筋すらない。そう考えると守りに入るとは本来後者の「今の分野で専門性を高める」のことを言うんだろうけど、ビジネスの世界で専門性を高めて勝てる個人なんているのか*1と思ってしまう。

もちろん、浅く広くが強いと言っているわけではなくて、深みを作りながらもちょこっと幅を広げたときに化学反応が起こりやすいと考えているので「幅を広げない」という選択肢はないと思っている、という話。攻撃こそ最大の防御だと思うんだけど、「守りに入る」って本当になにかを守れてるんですかね。

*1:研究職とかだったら話は別だと思うが