ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

大好きな人を全力で撮るということ

久しぶりに撮影の仕事が入った*1。基本的には横のつながりでしか撮影の仕事なんてこないので、今回も友達からの話なのであるがいつもの「ちょっと紙面の端っこで使いたいから撮って」とか「web用に軽く撮って」というものではなかった。長らくミュージシャンとして頑張っている友人から「アー写を一新したいから撮って欲しい」という話をもらった。

僕でいいのか問題

個人事業としてやってこそいるが、プロなのかと言われると怪しい。少なくとも写真で飯を食っているわけではないので、「写真家」という肩書は名乗ったことが無い。そういう人間がミュージシャンにとって最初のつかみとなる「アー写」を撮っていいのだろうかという葛藤はあった。こんなふわっとした人間に依頼するより、高い金払ってでも「それで食べてる」人たちにしっかり撮ってもらったほうがいいのでは、と提言もした。ただ、彼からは「安く済ませたいとかではなく、お前に撮ってほしいから話をもってきたんだ」と言われてしまった。写真を撮る人間にとってこれ以上に嬉しい言葉はないので、依頼を受けることを決めた。

全力を尽くすということ

求められたのは彼のアー写をきちんと仕上げることだったが、要求に対して100%以上の結果を出したい、素直にそう思えた仕事だった。トンマナと希望要件を擦り合わせて、全体のイメージをお互いで確認しながら撮影に臨んだ。その中で1点だけ僕からお願いしたことがあった。「自分の作品としての写真も撮らせてほしい」。彼の写真を「自分の作品」として撮らなくちゃいけないと思った。アー写用にデジを1台、作品用にフィルムを1台持って臨んだ撮影は我ながらひりつくような感覚が持てるくらいの真剣な撮影になった。アー写を撮るのに半分、自分の作品として撮るのに半分。それはもう大変な労力を要して、終わったあと二人で飲みに行った帰りは全身がぐったり疲れていた。

後日エディットした写真と、仕上げてプリントしてからスキャンした作品を「これもよかったらどこかで使って」と送ったところ「頼んでよかった」と一言だけ感想をもらった。なにかを作っている人間に対して僕ができる最大のアウトプットは「僕も『作る側』として作品をぶつける」ということだと思い、自分の作品を送ったのだがこれがいい方向に向かったようだった。自分が全力を尽くせるためにはどう臨むべきか、考えて考えてぶつけた結果で満足してもらえる。こういうことがあるから何かを作るということは止められない。改めてそう思った。

写真と僕

作る、ということに関してはいろいろな形で行っている。それは仕事(スマホアプリやwebサービス)だったり音楽(DJ*2やトラックメイク)だったり、写真だったり。そんな中で写真を続けていくというのはこれからもやめたくないし、やめられない。風景でもポートレートでも、とにかく写真を撮るのが好きで、写真をプリントするのが好きという気持ちは今後も死なないと思う。いつも撮ってからすぐは「もっとこうできたかも」とか「なんでもっとかっこよく撮れなかったんだ」とかすごく辛い夜を過ごすことが多い。それでも敬愛するzornの言葉を思い出す。

また長い夜 けれど大丈夫 好きでい続けるそれも才能

僕には写真の才能は無いし、写真は僕を愛してくれないかもしれないが、死ぬまで写真への愛を失うことはできなさそうだ。

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*1:写真は下手の横好きでやってるが、たまにこうして依頼をもらうことがあるので個人事業でやってる

*2:DJにおいては「場を作る」ということが僕の中で非常に重視してる