いままで月一くらいでDJをやることが多かったのに、今年は平均すると月に2~3回ペースでDJをやらせてもらってる気がする。純粋にDJをするのが好きだし、自分で踊るのも踊ってる人を見るのも好きだから楽しいが、DJとしての苦しさに遭遇することが多くなってきた。端的にいうと自分よりフロアをわかせてる人たちに対しての嫉妬や悔しさみたいなものを感じているという話だ。
自分より沸かされるということ
DJにとっての最大の貢献は集客だと思う。これはただ遊びでやってるのではなく*1、呼んでくれたオーガナイザー、お店に対して最低限の恩を返したいという気持ちがあるからだ。ただ、それでも本当は「DJたるもの客を楽しませてなんぼ」と思いたい自分がいるからこういう気持ちになるんだと思う。楽しそうにお客さんが踊ってる姿が好きなのだ。キラキラしたフロアで笑顔で、目をつぶって没頭するように、友達と話しながらはしゃいで、どんな姿でも「あ、楽しそうだな」って思える顔を見るのが好きなのだ。その瞬間をDJブースから見るのが格別なのだ。それを人にやられると敗けた気になるというか、もっともっと僕も人を楽しませたいのにとネガティブ思考に陥ってしまうことが多い。
スタイルが重要なのかもしれない
フロアが湧いている時にどうしてこんなに盛り上がるのだろうと考えてみると、結構な確率で「自分のスタイル」をちゃんと持っている人が回しているときがフロアの反応もいい気がする。これは選曲のセンス*2であったり、スクラッチを混ぜたテクニカルなプレイ/繋ぎがすごく丁寧で本当に違和感なく曲が変わっていくプレイなど、どんなやり方であっても「これが自分の持ち味/スタイルだ」と主張してくるような人が強い。やはり人を惹きつけるのは人なのではないかという知見になった。
僕にはスタイルがないのか
おそらく、ないわけではないと思う。自分で考えるに僕の持ち味/スタイルはジャンルを飛び越えた縦横無尽なセレクトで30分なり1時間なり2~3時間なりの「セット」という世界を作ることだと思う。それがいま出来ているのかと考えると、多分僕がフロアを沸かすことができていない原因はそこにあるのではなかろうかと感じた。お店の雰囲気、パーティーの空気感、来てくれる人たちの趣味趣向、そういったものに気を使いすぎ*3て「僕が回している必要性」がなくなってしまっている気がしてきたのだ。変に気を使って「いい感じの音」をかけるだけなら、むしろそのジャンルなりスタイルのもっと上手い人なんてゴマンといる。ではなぜ僕が回すのか、僕が回すところを観に来てくれる人がいるのか、そこに「僕のセット」がなければ意味がなくなってしまう。
やることはひとつ
僕は僕の思うままに音をセレクトして持っていき、その空間をきちんと楽しんで自分にできることを全力でやるべきだったのだ。言い訳も見栄も超えたその先にしか僕のみていたいキラキラしたフロアはない。そんなことを考えながら今日も世界中に眠る素敵な音楽を片っ端から掘り続ける。膨大な楽曲の中から「僕にしかできないセット」が生まれることを想像して、自分と闘っていく作業が始まる。