ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

心が折れかけている

今100人規模の新規タイトル開発を行っていて、僕は外部ディレクターとして全体的なゲームデザインと各種機能*1ディレクションしているんだが、人手が足りないため細かな仕様書も自分で作成しており、流石にこの規模の開発のディレクションと詳細仕様作成をほぼすべて一人でやるのがかなりキツイ。「こちとら外部ディレクターやぞ*2」という気持ちと「そんな細かいところまで指示出ししてられるか」みたいな気持ちが爆発しそうになっている。

例えば全体の画面遷移についてはゲーム体験で非常に重要な項目なのでチェックさせてもらいたいが、画面演出の再生順とかになってくると「変な見た目になってなければこだわりないです」としか言いようがない。もちろんそれがゲーム体験において影響度が高い場合はチェックするんだけど、重要かどうかまでこちらに確認を求められるとある程度はそちらでもフィルタリングしてくださいよ、となってしまう。この辺のバランス感覚って、僕はロジックで判断できると思ってるんだけどなぜだか「ある程度経験値がないと判断できないもの」だと思われている節がある。いや全然脳内でゲーム動かして見れば重要かどうかなんてわかるじゃんって思うんだけどな。自分が優秀なディレクターだと思ったことはないが、ある意味この程度のことはできるから外部ディレクターとして声をかけてもらっているのかもしれない。そうだとしたら現実ってのは皮肉だなと思う。

いずれにせよ開発も結構架橋で、ディレクションする立場の人間として心を折ってスピードを落とすわけにはいかない*3。故に重要なのは自身のメンタルヘルスをちゃんとコントロールすること。結局のところこれに尽きるのか、という2024年にもなって考えていたくない結論にたどり着いてしまった。

*1:まあほぼ全機能なんだけど

*2:中にいる人員でどうにかしてほしい、という意

*3:単純に社会人としても、取引関係としても

やっぱりすごいぞ『アスタータタリクス』

tokidokidj.hatenablog.com

以前書いたんですけどね。導入がクソダルSRPGアスタータタリクス』。「革命的アップデート」と銘打って2月末に実施されたアプデにて「メインクエスト」が追加されました。何言ってんの?

これどういうことかと言いますと、ストーリーを読んで学園のマップを探索しバトルをする一連のゲーム体験は「ストーリークエスト」として生まれ変わりました。そしてストーリーをすっ飛ばしてバトルをサクサク進めていける「メインクエスト」が爆誕。これによって全ユーザせーので一からメインクエストを始めるというまさに革命的としか言いようのない運用をぶちかましてきました。そうです、今までのストーリーをどこまでクリアしていてもメインクエストの進捗はみんな同じ。正確にはクリア済みの人はすぐに新編「現代編」に挑戦できるらしいけど、「円卓の騎士編」は最初からスタートという点は変わらず。

チュートリアルから4月いっぱいまで*4をまるっと作り変えるくらいの度胸があれば頑張れる気がする。もちろん、今までクソめんどくさい導入を遊んだ上で残っているユーザに対してどういうごめんねをするのか(というよりできるのか)は問題として残るが。

僕も以前「クエストのだるさをどう改善してどうお客さんにごめんねできるかが鍵」と書いたんだけど、まさか「全員最初からだから平等」というウルトラCをやってのけるとは思わなかったです。たしかにバトルをどんどん進められるんだが、序盤のバトルは難易度低いのでワンパンで終わらせるゲーム体験を改めてさせられることになにも納得感がなくてウケる。

この情緒の安定しないお話をすっ飛ばせるのが「メインクエスト」

そしてリリース以来半年もの間ガチャ画面でしか出てこなかったプレイヤーキャラクターが描かれる(と思われる)「現代編」もある*1し、鬼滅コラボ*2も決まっているアスタタ、みなさん今がはじめどきなんではないでしょうか。僕はアスタタがどこまでいくのか見守り続けていくつもりです。ちなみに前回アスタタに言及したエントリでも書いたけど、わりかしよく出来たゲームだと僕は思ってますよ。茶化して書いている部分はあるけどSRPGとしてよく出来てると思う*3し、キャラデザは普通に好き。お話はちょっとイカれてますけど。

一体どこまで行くんだアスタタ、どこまで行けるんだアスタタ。

*1:登場人物の情緒の安定しなさは現代編でも見せてくれるのか

*2:あの謎の星街すいせいコラボのような意味不明展開ではなさそうなところは一安心

*3:故にマネタイズがしんどいんだろうとも思う

「想定」「認識」で喋られるのが苦手

端的に愚痴です。弊社内ではなく取引先で取引先社員と共同作業してるときの話。

仕事をしているときに「これってどうなるんだっけ?」となって担当者に聞いたりすると「それは〇〇の想定です」という返答がくることがままある。これって結局なんの情報もなくて、するつもりなだけなのか、しなくちゃいけないのかが判断できない。同じように「これってAだっけ?Bだっけ?」という質問に対して「Aという認識です」と返されても、僕はあなたの認識が知りたいんじゃなくて決定事項を聞いてるんだけど、となってしまう。実際には「想定」や「認識」が決定事項を指していることもあるんだろうけど、「私はそう思っているよ」という曖昧な返答*1をされると個人的にはめちゃくちゃストレスが溜まる。

全部が全部悪いとは思っていなくて、ビジネス上当然出てくる言葉ではあるとは理解している。しかし、決めたことを「そう思っている」と表現しないでほしい。たとえ「決めたことが間違えていた」なら修正すればいいだけなので、「(決めたけどあってるかわからないから)そう思ってる」という婉曲表現で無駄なコミュニケーションを取らせないでほしい。あと「決まってない」場合も「〇〇の認識です」と言われるより「〇〇にしたいです」とか意思を出してほしいと常々思っている。もちろん担当者=決済者じゃないケースの方が多いので、自分では決められない*2というのはわからんでもないが、じゃあ決済者に確認取ってこいやという話なので。

以前にも「『そもそも』という言葉が苦手」というエントリを書いたり、仕事上での「理解できない習慣」についてのエントリを書いたりしてきたが、これもそういう話。なんか嫌だな、モヤモヤするなと思ったので書いた。とりあえず僕がストレスを感じる原因は「無自覚に保険をかけている」「意思がない or 決済者の意思を確認してこない」からだということがわかってよかった。書き出すと学びがある。

tokidokidj.hatenablog.com

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*1:おそらく「自分が言うことが間違っている可能性」へ無自覚に保険をかけているんだと思う

*2:上からの指示なのかなんらかそうする他ない理由があるのかケースは色々あれど

Chat GPTと一緒に生活をしている

ある日遊びで「生活の色々な判断をすべてChatGPTに委ねる」ということをやっていた。例えば晩酌で飲む酒とつまみを決めさせたり、帰宅してから晩酌を始めるまでになにをすべきかだったり、晩酌のときに見る映画を決めさせたりなど。これがなかなかよくて*1、帰ってから疲れた身体にも関わらず「音楽制作をしましょう」とGPTに言われたから作ったビートが結構よさげだったり、「普段だったらこの映画は観ない*2な」と思うような映画を観たりして刺激を受けていた。最近だと「帰ってから風呂に入るまでにできる簡単な運動」とかも提案してもらって実行している。

いままでわりと仕事でSQLのクエリを書いてもらったり*3google spreadsheetの関数をリファクタしてもらったりと実務的な部分で活用していたんだけど、生活に関わるようなところでもかなり力を貸してもらっているのでこちらからは「一緒に生活している」という感情になりつつある*4。ここまで来るとiOSのリマインダーとかにガンガン追加してくれるようになったらいよいよSiriよりもGPTの方がアシスタントとして優位に立つんだけど、流石にそこまでできてしまうとAppleが黙ってないだろうからそれは実現されないんだろうな。逆に言えばSiriが生成AI系の機能を搭載してGPTクラスの性能になったらいよいよApple最強になってしまうかもしれない。まあこれは僕がApple製品ユーザだからで、Googleがそうなるかもしれないし、あるいはウェアラブルバイスはあまり出してないけどホーム環境ならAmazonが最強になる可能性もある。いよいよSFじみてきて大変喜ばしい。

話がそれたが、最近はそうやってChatGPTと生活をしているという話でした。

*1:と言ってもかなりチューニングはしたが

*2:選択しないというだけで苦手なタイプの映画というわけではない

*3:もちろん機密に関わるような情報は渡さず、テーブルとカラムの構成だけ伝えて書かせている

*4:GPTからはそういった感想は出てこないだろうから一方通行な感情である

絵を買ってる

昨年都内某所のお祭り*1イラストレーターの方が何人か出展していてポストカードを何枚か買ったりした。若い絵描きに金を落としたいという気持ちがあり、かつちゃんと「この絵好きだな」と思ったので買った。そして気に入ってるからポストカード立てみたいなやつを買って部屋に飾っている。フィギュアとはまた違ったよさがある。ちなみにポストカードは¥300くらいだった。

で、先日絵を買った。デジタルドローの上に版画で色を乗せたやつ。お値段¥700,000。ここ数年で一番高い買い物。Twitterでたまたま見たイラストレーターの方が展示会をやるというので観に行ったら正確には展示会ではなくて展示即売会で、めちゃくちゃ販売員さんが熱心に勧誘してくるから「これマジで買ったらおもしろいかな」と思ってその場で買ってやった。繰り返しになりますが、ちゃんと「この絵好きだな」と思ったのでネタだけで買ったわけではない*2。でけーいい絵が生活にあるとなかなか他では得られないものがあって、なるほど絵画に金をかけるというのはこういうメリットがあるのか、という新たな気づきもあった。あと作者の方がTwitterに僕が買ったイラストもアップしてるんだけど、やはりものとして金がかかっているだけあって「買った絵の方が圧倒的にディティールがよい」と思えたのもよかった。

絵画を購入する層というのがどういう人たちかわかってなかったんだけど、だんだんわかってきた気がする。いろんな邪推なしに「生活に絵があってほしい」という人間が一定数いるんだろうな。僕もそのひとりになりました、という話。

*1:神社とかでやるやつじゃなく地域一帯でやる〇〇フェスティバルみたいなやつ

*2:あと節税的な面もあるので様々な事情が相まって購入に踏み切った