ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

「そもそも」って言うのをやめたい

嫌いなものについて話しをするのはフラストレーションが溜まるわりにプラスの効果も感じられないので気が重いのだが、思うところがあったのでまとめておくことにする。表題の通り、「そもそも」って言葉が嫌いなので言われたくないし言いたくないと思っているログを残しておこうと思う。

発端

konifarさんのブログが好きでよく読む*1のだが、あるエントリを読んでいたら僕がずっと感じていたことが著されていた。

konifar-zatsu.hatenadiary.jp

下記、本文中から引用。

ちなみにこれは個人の意見だけども、逆に凍りつきやすい言葉は「そもそも」で、言われた方はわりとイラッとすることが多い印象。使うときは代替案の提示が必須だと思う。

議論の場において、無駄を減らしたいと思いつつ空気を凍らせないようにしたい、という話しなのだが非常に共感するところがあった。そして上の一文。僕は「そもそも」という言葉に非常にイラッとするし、自分が言ってしまったときには「しまった」と思うことが多いのでこれは一度自分自身でも整理しておきたいなと思ったのが発端にあたる。konifarさんを一方的に尊敬しているけど、別に媚を売ろうという気があるわけではない*2

ちゃぶ台返し

「そもそも」という言葉が出てくる状況では、ほとんどの場合ちゃぶ台返しが起きていると思っている。AとBのどちらにするかとか、なぜCという状況になってしまったのか原因を探ろうとか、そういう場面で「そもそも」という言葉はこう使われるのではないか。

  • AとB、どちらにしよう
    • AはA'というメリットがあるがA''というデメリットがある
    • BはB'というメリットがあるがB''というデメリットがある
      • そもそもAとBって2択はどっからきたの?両方ともダメだよ、Xが議題に挙がらないのはなぜ?


  • Cという状況になった原因はなにか
    • C'の問題が出てきたときにC''の状況を考慮してなかったのでは
    • C'への対応はあっていたと思うが、既にC'''の問題も発生しているということに気づけていなかったのでは
      • そもそもC'とかC'''が出て来る時点でおかしい、Yのはずじゃないの?

上記自体は別に起き得ない状況ではないとは思う。本当にAとBの両方とも話にならなくてXがあれば解決できる場合もあるだろうし、Yが大前提として全員認識しているはずの状況であれば口もはさみたくなる。着実に問題の解決に向かって進んでいるのであれば、文句も言えなくなるだろう。

だが、普段「そもそも」という言葉を聞くケースでは「選択肢を募る時点でXという候補を挙げていない」「Yが共通認識ではなく、一部の人間にとっての前提である」ということが多く、「なんでそれもっと早く言ってくれなかったの?」とか「その話っていつ決まったの?」という疑問が生じることがあるのだ。これを僕は「ちゃぶ台返し感がある」と思ってしまう。

誤解の無いようにもう一度言っておくが、Xという選択肢やYという前提が解決に向かう提案であれば全くもって問題ないし、むしろ議論をスピーディに完了させる最高の仕事だと思う。だが、世の中そう簡単にいかないもので、XもYも正論ではあるが正論であるだけで実際の状況にそぐわないものであることも少なくない。

例えば現実的なケース*3で考えてみると

  • A案
    • SEOをA'社に発注する
    • A'社は長年SEOをやっているので実績があるので目標達成の確度は高い
    • しかしその分、費用は他社に比べて高めだ
  • B案
    • SEOをB'社に発注する
    • B'社はコスト的には随一の安さで、かつ担当者の熱量も高い
    • しかし最近できた会社だから実績はないので、効果に対する確度が未知数だ

という状況のときに

  • X案
    • 自分たちでSEOやる
    • A社が高くてB社が本当にできるのか不安なら自分らでやれよ
    • B社に発注するコスト分のリソース使ってやれば社内で完結するんだからどうにかできるだろ、ほら解決

みたいなこと言われても、いやいやそれいま言う?となってしまう*4。 これはちょっと乱暴なまとめ方だし、「そもそも」っていう言葉がこんな頭の悪いケースでだけ使われているとは思ってないが、極端にいうとこんな感じの状況で聞くことが多い気がしてるのだ。ただ、実は「こういうケースが多い」のではなく、「数少ないケースだが、ちゃんちゃらおかしすぎて異常に記憶に残っている」のだという可能性もあるので、もしそうだったら決めつけてしまって申し訳ない。

「求めるゴールの違い」と「配慮の差」

なんでこんなことが起きるんだろうと考えてみると2パターンが考えられると思ってきた。それが「求めるゴールが違う」と「配慮の差」だ。

求めるゴールが違う場合

議論の場でのゴールは、どんな議論であっても「課題/問題を解決すること」に行き着くと思う。解決しなくてはならない課題/問題が存在して、それを一人では解決できない場合に知恵を持ち合うのではなかろうか。しかし、斜め上の提案として出て来る「そもそも」の言葉は、突き詰めると「課題/問題を解決すること」をゴールとして設定できていない発言であるのを感じる。例えば先程の例で言えばSEOを強化したいという思いの根源には「自社サービスを広く周知して利益を出したい」とかそういう欲求があって、それに対して「いまSEOが弱い」という課題に対して様々な要因が出ているのだと思う。当然自分たちでやるという選択肢があるなかで「他社に依頼する」「依頼するにあたって候補が2社ある」という段階まで来てまでひっくり返すのが正解である場合もあるだろう。だがそこに至るまでの全ての議論をすっ飛ばして話しをもとに戻すのは「自分がその議論に参加したくない(≒君らが考えといて)*5」ないしは「議論の中でクリティカルな提案をしたい」という個人的な思惑なんじゃないかと思ってしまう。何度でも繰り返すが、それで解決するのであれば文句はない。だから難しいところなのではあるが。

配慮の差

再三繰り返すとおり、そういった大胆な意見が本当に正しい選択なこともある。だが、そういった場合であっても「そもそも」という言葉の使い方はしなくていいのではないかという違和感が拭いきれない。この違和感が配慮の差だ。また先程の例を出す。

  • AとB、どちらにしよう
    • AはA'というメリットがあるがA''というデメリットがある
    • BはB'というメリットがあるがB''というデメリットがある
      • A,Bと並んで、状況も変わってきてるだろうからXという選択がないのかもう一度考えてみたいと思ってる*6

言い方じゃねーか!と感じる自覚はあるが、結局こういうところの配慮は極めて重要だと思ってる。人によってはそれだけでモチベーションに影響するし、モチベーションに影響しなくとも「選択肢を絞る間にもそれぞれの時間を使っている」わけで、その時間全て白紙に戻す可能性があるときには配慮のひとつふたつがあってしかるべきだろうと考えているからだ。「いまさらこんなこと言って申し訳ないんだけど」という気持ちを表明した上で、本当に一度ゼロから考え直した方が正解だったら儲けものだし、ちゃんちゃらおかしいこと言ってたらそれだけで思考と時間の無駄になるんだから慎重に行ってもいいんではなかろうか。チームで動くことが前提となっている仕事の場合、正論ではあるが結果が出ませんでした、ではなににもならない。ただもちろん、配慮することでマイナスになるケースもあるということは自分としても忘れないようにしたい。

持論

「結論」として結ぶには「という場合もある」というだけでなんら核心にたどり着けなかった。このままでは「こうするべきだ!」と強く言えないことがわかったので、少なくとも自分が今後どうするつもりなのかをまとめておく。

  • 「そもそも」という言葉を使うことは極力やめる
    • 問題の解決ではなく、個人的な思惑が含まれる可能性を排除するため
      • 「いい発言をする」じゃなくて「いい結果を出す」ことを目的とする
      • いい発言をしたやつの評価が高くなる組織なら、評価を変えさせるか自分が去る
    • 最低限の礼儀を持って仕事をするため
      • 嫌われないように仕事をするためではなく、パフォーマンスを最大化するために配慮する
      • 嫌われた場合は「結果を出すためにしたことであり、それ以上でもそれ以下でもない」ときちんと表明する
        • もちろん、結果のためとはいえ無礼だと思われたなら謝るべきところは謝る
        • ビビる必要はない

*1:本家をずっと読んでいたのだが、たまたまKonifar's ZATSUの存在を知ったのが下記のエントリだった

*2:引用したエントリ自体3ヶ月くらい前のものだし

*3:現実的だと思う例であって、実際にあった例ではない

*4:これが現実で起きたらわりと地獄だと思うからちょっと現実から遠ざかってしまったと思いたい

*5:上述のkonifarさんのエントリでは「無駄な議論を減らす」というのが目的のため、たぶん僕の考えとは競合しない。近いようでまったく別の話だと思ってる。

*6:X案が「選択肢を募る時点で候補として挙げていない」ものだった場合は「今更もう一案出して申し訳ないんだけど、今ならこれが最善かもっていうの思いついちゃった」って言えばいいと思う