ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

虚無と人情を使い分ける

仕事をしていると頻繁に精神を消耗することがある。よくあるのが「なんらかの不満はあるが解決に向けたヒントは一切提示されず愚痴のみを聞かされる」パターン。基本的には人に寄り添って対応するのが信条だが、このパターンは相手もこちらのことを大切に思ってくれていない*1ので精神的には虚無のまま対応することが多い。より正確に言うならば「聞いてほしいだけ」なら「聞く」以上のことはしない、ということだ。

と、なんでこんなことを書いているかというと、まさに直近上記のような事案が発生したからである。こういうことを書くと経営者失格と言われることも多いし、実際その通りではある。しかし現実に僕は経営者であり、かつ一人のちっぽけな人間である。自分が精神を壊すと全社に影響があるため、自己防衛*2のために虚無と人情の使い分けをしているというわけだ。

ここまでつらつらと書いていて、「逆に人情で動くところってなんだろう」と考えてみたところ、「なんらかの不満はあるが解決に向けたヒントは一切提示されず愚痴のみを聞かされる」パターン以外は人情で動いているなということに気がついた。すると単純に僕が「前進する気のない愚痴が嫌い」というだけなのかもしれない。基本的な精神性が漱石の『こころ』でできているゆえなのだろうか。

*1:ただただ相手に解決の手段から心情を察するところまで丸投げの姿勢には「対等な労力」がかかってるとは思えない

*2:個人としても、会社としても