ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

結局音ゲーは音が好きだと続けられる

最近マクロス音ゲーがリリースされましたね。

uta-macross.jp

アプリタイトルはいかがなものと思うけどまあやはりマクロスは音がいい。最近マクロスファンになった人をコアターゲットにしているのか、δの曲からスタート*1して、Fとかはすぐに解放される。そのあとには名曲『愛・おぼえていますか』がアンロックされるのでその辺は良く出来てるなーと思う。が、しかし、マクロスやったあとにスクフェスとかバンドリやると、音ゲーとしての楽しさは正直あんまりないなと感じてしまう自分もいる。まあしょうがない、スクフェスとバンドリはよく出来すぎているからだ。

それでも続けられる

そんな歌マクロスではあるが、なんだかんだ継続してプレイしている。ガチャで引くエピソードカード的なものにはなんの興味も持てないし、バンドリやってからプレイすると「なんか違うんだよな」と思うことも多々あるのにだ。それでもなぜ続けられるかといったらひとえに「曲がいいから」だ。姉田ウ夢ヤ氏*2菅野よう子女史、『愛・おぼえていますか』に至っては加藤和彦氏なわけで、そりゃあ曲がいいのである。それを聴くためにプレイしているようなもんでも継続できる。逆に、音ゲーとして面白くても曲が曲だと続かない。僕にとってはそれがデレステとミリオンライブだ。

いやこの書き方だと語弊があった。「曲がいいか」ではなく、正確には「曲が好きになれるか」だ。アイマスの曲自体決して悪くはない。すげーなって思う曲もいっぱいある。が、割合の問題のようなもので、あまり好きじゃない曲が他のタイトルに比べて多いからプレイするのが億劫になっているだけだ。アイマスも好きな曲が増えればずっと続けていける気がするが、最近ではログボ回収するだけとなってしまっている。もっとアイマスの曲を聴こうと思う。

動機なんてそんなもの

これが人によっては「キャラがかわいいから」ってだけで続けられると思うし、「イベントサイクルが絶妙」ってのもありうると思う。それくらい継続してプレイする人の動機ってのは単純だ。自分が運営する側に回るとなかなかそうも言ってられないからとにかくできることは全部やるし、機能もUIも死ぬほど改善していく。だけど、音ゲーにとっての音ってのはもうそれ自体で「継続してプレイする動機」として十分すぎるくらいの比重を持っているので、ある意味ポチゲーより難しくて大変だなと思う*3。だからこそ、音ゲーをやることになったら「音を大事に」やっていきたいなと思うし、それでユーザさんに満足いただけてないのであればそれ相応のコストできちんとその時のユーザさんに100%以上を楽しんでもらえるように無駄に気負わずやっていこうと思った。タイトル持ってないんだけどな*4

*1:もしかしたら最初のヒロイン選択で変わるのかもしれないけど

*2:正体は不明だが

*3:今のところ運用型音ゲーは自分で運営したことがないので

*4:もちろん、現在持ってないだけじゃなく、これから出そうと作ってもいない

遊び倒してる

至極どうでもいいんだが、ここ最近遊び倒している。仕事に支障がでないのが自分でも不思議なくらいに。どちらかというとインドアで、ヘッドホンさえしてしまえば自分の世界に没頭できるというかむしろヘッドホンなくてもだいたい自分の世界に浸ってられるくらい省エネ設計の僕なのだが、どうにも最近行動力が高まっているっぽい。

なにをやったか、なにをやるのか

8月に入ってから1週間しか経ってないのに結構いろいろやったし、これからもいろいろやる

  • 飲み会*4
    • うち、仕事関係2件、プライベート1件が済
    • 来週の週末はプライベートの飲み会がもう1件入ってる
  • DJ3本
    • うち1本は済、2本は今週末と来週頭
  • BBQ
    • 飲み会にカウントしてもいいけど、屋外(しかも海辺)でBBQというパリピ具合だったので別枠化した
  • クラブに踊りに
  • 1回しか行ってないけどよくまあこの暑いのに深夜に遊びに出たもんだと思う

行動力の源泉

なにが自分をこうさせているのかは正直良くわからない。夏がそうさせたのか。夏の魔物なのか。なんにせよ、遊びに対して意識がいかないときは「あまりに仕事がうまくいっているとき」か「遊ぶ気力すらわかないくらい精神が死んでいるとき」なので、少なくとも中庸の精神状態を保てていることを嬉しく思う。こういうときは欲しいものもたくさん出てきて、なにをいつ買うか迷える楽しい時間が待ってるだろうから支出にだけ気をつけて行こうと思う*1

頭を使え

遊ぶ、こと人と遊ぶというのは意識せずに頭を使わなくてはならないことが多い。脳みそは使わないとすぐ劣化する*2ので、存分に遊んで頭を使っていこうと思う。仕事だって遊びだって、基本的には人とするものだ。頭の使い方は違えど、たくさん頭を使うのはとてもいいことなので、継続して遊び続けて行きたいと思う。そうして体力の限界を超えないところで乗り切っていき、しっかりと休んでリフレッシュする習慣にしたいものだ。

*1:遊ぶにはとにかく金がかかるので、予期せぬ出費が怖い

*2:と思ってる

「自分の言語」じゃなくて「チームの言語」でしゃべらないと伝わらない

※酔っ払った勢いで書いてるからご容赦いただきたい

今日、というかついさっき、自社でやってるサービスで障害が出た。原因は調べてるところなので確かなことはまだ言えないが、おそらく一時的にアクセスが集中して負荷が高まったことだろうと思ってる。で、その際のやりとりを見ていたんだけど、同じ会社の社員であってもお互いの共通言語でしゃべらないと欲しい情報が出てこない/伝えたと思っているのに伝わってないという状況が生まれていたので忘備録として残しておく。

起きたこと

アラートが飛んできて、だいたいチームのコアメンバーはslack上でオンラインになったときのことだ。サービスはアクセスしてもローディングから動かず、画面が表示されない。さて困った。その際にプロダクトの責任者が「いまつながらないからってリロードされても負荷が高まるだけだろうからメンテ状態に切り替えたい」という話しをした。そして、下記のような会話があった。

プロダクト責任者「お知らせを出したいから今の影響範囲を教えて欲しい」

エンジニア責任者「影響範囲としてはサーバとの通信が走る箇所はみんあ死んでる状況だと思う。詳細は別途。」

プロダクト責任者「具体的にはどういう状況になってるか教えてもらえる?」

エンジニア責任者「AのAPIが多分詰まってる原因になってて、併せてBのAPIが死んでるくさい」

濁してるのでかなりざっくりとした(かつ、ふわっとした)感じになってしまったがだいたいこんな感じの会話だった。僕はこの時「あ、話しかみあってないな」と思い、下記のように質問して会話を続けた。

ときD「お知らせに『いまユーザから見てどういう状態になっているか』を書いときたいと思うんだよね」

ときD「たとえば、CしたらDができないとかって情報教えてもらえるかな」

エンジニア責任者「通信走ると駄目っぽいんでログイン時点で蹴られますね」

エンジニア責任者「通信が走らない状態、画面眺めてるだけだったり、Eのページとかを見てるだけなら普通に動いてるはずです」

プロダクト責任者「了解、お知らせ出しておきます、すまんけど対応よろしく!」

エンジニア責任者「うす、そちらも対応ありがとう。進捗随時共有します」

プロダクト責任者からすればお知らせを出す=ユーザに対しての説明を行いたい、という気持ちがあり、エンジニア責任者からすれば「具体的に何がエラーになっているか」を正確に伝えたい、という気持ちがあったのだ。

共通言語

現にこういうケースに遭遇した時、どちらがいい悪いってのはないと思ってる。見方としてはエンジニア責任者がさっと答えを出せなかった、と見えそうだが、文脈がーとか普通に考えればーとかあっても僕としてはどっちとも取れる質問をプロダクト責任者がしてたと思う。そしてそれは当然だし、エンジニア責任者とプロダクト責任者どっちがいい悪いの話じゃないと思っているのだ。その理由がタイトルにあるような「『自分の言語』じゃなくて『チームの言語』でしゃべらないと伝わらない」というところ。両者はお互いの言語でお互いの問い/解を出している。でも、もっと早い解決策はある。ではなにがそれを阻害したか。それは「お互いが自分の言語ででしか話をしなかった」からだと思っているからだ。

自分の「常識」や「文脈」ってのはそんなに強固なものじゃない

これを理解*1している人は少ない。経験則で申し訳ないが。そういうものなのだ。上で挙げた例なんて典型的で、お互いのバックグラウンドによって左右されてしまうことの方が多い。ではこういったことを起こさないためになにをすればいいかと言えば、チーム内で共通言語を作るor障害のレベルに置いて共有するべき情報を明確に定義することにほかならない。だって考えてみれば当然だろう。ユーザがサービスにアクセスできない状況にあったとき。「まずなにをするか」が共有できてないからプロダクト責任者は自分の考える「影響範囲」を尋ねるし、エンジニア責任者は「聞かれた影響範囲」を答える。ただただ、「こういうった状況であれば」「誰に対してどういう情報を出すべきか」の認識がずれているのだ*2。齟齬が生まれるのは些細なことから始まる。ではどうやったら僕らは正しい情報を「情報が欲しい」と言っているやつに届けられるのか。

共通認識

僕がこの事態に遭遇して、最初にやったのは「障害レベルに応じた、『どんな情報を』『だれに渡すのか』」を定義することだった。目的さえわかっていればうちの社員は強い。その目的が共有できてないところが齟齬の発端だったのだ。「普通に見ればわかる」「文脈を追えばわかる」、様々なコメントが来そうだが、少なくとも僕は、自分がエンジニアであったら「具体的なAPIがどう詰まっていたか」を答えると思う。なぜなら「ユーザの」という共通認識がない状態で具体的な起きている状況を聞かれているからだ。普段の会話ではある程度意味を明確にするために言葉を変えるなりなんなりするのに、気心知れてているやつにはおざなりになったりする。

不具合レベルの制定

僕はプロダクト責任者の言い回しが悪かったとは思わない。だって優先順位がなかったんだから。そして同じくエンジニア責任者のレスポンスも、「まったく悪くなかった」と断言できる。条件やソート基準が示されてなかったからだ。だから僕は自社で下記のルールを追加した。

- 各プロジェクトは「緊急時の確認手順」を制定すること
- 各プロジェクトごとに「なにが起きたら駄目か」を明言すること
- 各プロジェクトごとに「それぞれの不具合に『不具合レベル』を決めること」
- 『不具合レベル』に応じて誰に何の情報を定時するか決めること

今回のケースではプロダクト責任者はどこまで影響が大きいのかという気持ちで『なにが起きたら駄目か』を明言」していなかった。エンジニア責任者は『不具合レベル』がわからんので聞かれたことに対して愚直/誠実に返答した。それぞれ、最初に定義すれば解決していたことについてお互いの会話がなりたっていなかったのだ。これはどう考えてもカロリーの無駄遣いで、今後こんな状況を作っては経営者としてよろしくないなと思えたことなのでまとめておいた。

しかしながら

こういった齟齬を減らして運用できる人ってのは本当に少ない。その前提で、なにか困ったことがある優秀な方はぜひ連絡をください。

*1:あるいは体感

*2:あとから聞いたが、やはり非エンジニアプランナーサイドでも「具体的にって言ってたんでAPI列挙してもらったら『ああなるほど』って思ってましたという意見があった」

DJとしての苦しさ

いままで月一くらいでDJをやることが多かったのに、今年は平均すると月に2~3回ペースでDJをやらせてもらってる気がする。純粋にDJをするのが好きだし、自分で踊るのも踊ってる人を見るのも好きだから楽しいが、DJとしての苦しさに遭遇することが多くなってきた。端的にいうと自分よりフロアをわかせてる人たちに対しての嫉妬や悔しさみたいなものを感じているという話だ。

自分より沸かされるということ

DJにとっての最大の貢献は集客だと思う。これはただ遊びでやってるのではなく*1、呼んでくれたオーガナイザー、お店に対して最低限の恩を返したいという気持ちがあるからだ。ただ、それでも本当は「DJたるもの客を楽しませてなんぼ」と思いたい自分がいるからこういう気持ちになるんだと思う。楽しそうにお客さんが踊ってる姿が好きなのだ。キラキラしたフロアで笑顔で、目をつぶって没頭するように、友達と話しながらはしゃいで、どんな姿でも「あ、楽しそうだな」って思える顔を見るのが好きなのだ。その瞬間をDJブースから見るのが格別なのだ。それを人にやられると敗けた気になるというか、もっともっと僕も人を楽しませたいのにとネガティブ思考に陥ってしまうことが多い。

スタイルが重要なのかもしれない

フロアが湧いている時にどうしてこんなに盛り上がるのだろうと考えてみると、結構な確率で「自分のスタイル」をちゃんと持っている人が回しているときがフロアの反応もいい気がする。これは選曲のセンス*2であったり、スクラッチを混ぜたテクニカルなプレイ/繋ぎがすごく丁寧で本当に違和感なく曲が変わっていくプレイなど、どんなやり方であっても「これが自分の持ち味/スタイルだ」と主張してくるような人が強い。やはり人を惹きつけるのは人なのではないかという知見になった。

僕にはスタイルがないのか

おそらく、ないわけではないと思う。自分で考えるに僕の持ち味/スタイルはジャンルを飛び越えた縦横無尽なセレクトで30分なり1時間なり2~3時間なりの「セット」という世界を作ることだと思う。それがいま出来ているのかと考えると、多分僕がフロアを沸かすことができていない原因はそこにあるのではなかろうかと感じた。お店の雰囲気、パーティーの空気感、来てくれる人たちの趣味趣向、そういったものに気を使いすぎ*3て「僕が回している必要性」がなくなってしまっている気がしてきたのだ。変に気を使って「いい感じの音」をかけるだけなら、むしろそのジャンルなりスタイルのもっと上手い人なんてゴマンといる。ではなぜ僕が回すのか、僕が回すところを観に来てくれる人がいるのか、そこに「僕のセット」がなければ意味がなくなってしまう。

やることはひとつ

僕は僕の思うままに音をセレクトして持っていき、その空間をきちんと楽しんで自分にできることを全力でやるべきだったのだ。言い訳も見栄も超えたその先にしか僕のみていたいキラキラしたフロアはない。そんなことを考えながら今日も世界中に眠る素敵な音楽を片っ端から掘り続ける。膨大な楽曲の中から「僕にしかできないセット」が生まれることを想像して、自分と闘っていく作業が始まる。

*1:趣味の範囲ではあるが

*2:アッパーな曲だけじゃなく、不思議とチルな音でも盛り上がるのだ

*3:気を使うこと自体はまったく悪いことだとは思ってない

リモート稼働時は不用意な代名詞を避けた方がいい

自分自身もリモートで稼働しているし、他のメンバーにもリモート稼働者がいるチームでの話。どうしてこんなに齟齬が発生したりのだろうとストレスを強く感じていたところ、基本的に問題になっていたのはチャットでの発言で代名詞を使うことによって齟齬/何を指して発言しているのかわからない状況が生まれやすくなっているという結論に至ったのでその忘備録。

危ない代名詞

代名詞というとちょっとくくりが広くなってしまうので、もっと限定していうと指示代名詞が危ない。「それ」とか「あれ」とかが特にそうだ。これはビデオチャットなど、音声を介してコミュニケーションを取っているときはあまり発生せず、テキストベースでのコミュニケーションで顕著に発生すると感じている。例えば下記のような例。

from A 12:00
Bさん、○○の仕様って△△の理解であってますか?□□の場合は対応考えるので教えてください。
from A 12:05
あと、矢継ぎ早に申し訳ないんですが☓☓の件はこちら側の対応完了しているのでそちらのステータス教えてください。
from B 12:15
それなんだけど、ちょっと迷ってるので少し時間ください。

少し乱暴だが、上記のようなやり取りがあった場合に、Bさんの指す「それ」は「○○の仕様について迷っている」のか「☓☓をどう対応するのか迷ってる」のかがわかりづらく、結果もう一往復のキャッチボールが必要になる。コミュニケーションの手間を減らすには

from B 12:15
☓☓の件なんだけど、ちょっと迷ってるので少し時間ください。

と答えた方がコミュニケーションコストがかからずに済む。「それ」とか「あれ」で本人はわかっていても、伝える相手方にとって複数の解に繋がってしまう受け答えは避けた方がいい。細かなコミュニケーションの手間が積もり積もって大きなストレスにつながる可能性があるからだ。

質問者は上から、回答者は下から回答しがち

例文で「Bさんが指しているのは☓☓の件だった」という答えにしているが、これも経験則で「テキスト(チャットのメッセージ)を読んでいる人は下から読むことが多い」というものから来ている。しかし、質問した人間からすると最初に送った質問に時系列順に返事がくるものだと思っているケースが多く、こういったところで齟齬が生まれやすい。先程「ビデオチャットではあまり発生しない」と書いたのは、ビデオチャットでのコミュニケーションは双方がリアルタイムに言葉を交わせるため、「それ」「あれ」が二人の現在話題にしているものに絞られやすいので齟齬が生まれにくくなる。しかしテキストベースでのコミュニケーションにおいては「リアルタイムがリアルタイムでないケース」が発生しやすいから齟齬が発生する原因となる。指示代名詞を使うのであれば、どの質問に対しての回答なのかメッセージリンクを貼る*1だけでなんのポストに対しての回答なのかが明確にできるため、積極的に使っていったほうがストレスも齟齬も少なくなる。

思った以上にコミュニケーションは難しいものだという前提で動いた方がいい

以前も書いていたくらい、伝えているつもりでも伝わっていないことは多く、伝えられていないことが多いのでコミュニケーションというものは難しい。

tokidokidj.hatenablog.com

手間を減らしたいからチャットを使っていてもそれの弊害があることはきちんと理解して動かないとどんどんチーム内で無用なコストが嵩んでいく。そしてそれは人間関係やプロダクトの数字に直結してくると、重めに考えておいて損はない。基本的に「伝える」ということは「自分の伝えたいことを伝える」のではなく、「自分の伝えたいことを相手に伝わるように伝える」ことが重要だという認識が必要だ。僕らは不完全な存在だからこそ、お互いがお互いのことを考えながら動かないとどんな歯車も軋みだす。それを忘れずに今週も頑張っていこう。

*1:slackだと楽でいい、chatworkとかだったら返信機能や引用を使ってもいいと思う

もしも魔法が使えたら

なんてことが無いようで、でも誰にもどうしようもないことを解決してあげたい。なんてことがない、と言ったら怒られるだろうけど夏の香川県に雨を降らせてあげたいし、センター試験の当日は電車が止まらない程度に雪を弱めてあげたい。酔っ払って駅で寝てしまっているサラリーマン諸氏をそっと家の玄関まで飛ばしてあげたい。花粉の季節には雨を少し増やしてあげたい。夏の暑さはお年寄りや小さな子が体調を崩さない程度にとどめてあげたい。秋口には窓を開けっ放しにして薄着で寝てる人の家の窓をそっと閉めてあげたい。冬は北風を少しだけ弱めてあげたい。そういう力があれば、とっても素敵なのに。

でも魔法が使えないので

駐輪場で自転車を倒してしまったおばあちゃんがいたから起こすのを手伝ってあげた。こんなことしかできないけど魔法が使えないなりにできることをやろうと思う。そう気づかせてくれた、昨日車椅子の人が段差を乗り越えられなくて困っていたところを一度通り過ぎたのに走って戻って手を貸していた若いスーツ姿のお兄さん、とってもかっこよかったよ、ありがとうございました。

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

いつまで経っても教えられることばかりだ

ぼーっとFacebookを眺めていたら、前職の社外取締役の方の投稿が目に入った。それがとても感慨深かったので感傷的な話しを一つ。身バレと先方の特定を避けるために*1濁した書き方になるが許していただきたい。

出会いとその人

出会い自体は上述の通り、僕が入社した会社の社外取締役としてその人がいた、それだけだ。入社当時は本当に経営の相談として関わっていたようで、社長とミーティングに来ているときに挨拶をしたり株主総会のときにお茶を出す程度で、あまり深く関わったりはしていなかった。それでも、そんな薄い繋がりのときから会うたびに「お、元気にしてるかい?」と明るく笑顔で話しかけてくれてとても人当たりのいい方だという印象を持っていた。

その方は世界的に有名な某社のトップを務めていたり、いまや日本でも普通に普及している非常に有名なプロダクトを(経営者として)作り上げたすごい人なのは話に聞いていた。そんなすごい人が普通に挨拶してくれるというのがなんだか不思議な気持ちだったが、トップに立つ人間というのはこういう人当たりのよさを持ち合わせているもんなのかなと思っていた。その後少しずつ一緒に仕事をするようになり、提案書を見てもらったり事業計画などを作ってはチェックしてもらったり一緒にミーティングに同行してもらったりしていた。

別れ

別れと言っても、別に喧嘩して絶縁したとか粗相をして出禁*2にされたというわけではなく、僕がその会社を去ってしまったというだけだ。風のうわさに聞くところによると、その方も前職の社外取締役は辞任して中小企業で社長をやっているらしい。そうして僕とその方の接点というのは今となってはFacebook上で友達になっているくらいだ。

Facebookでの投稿

フィードを眺めていると力強い長文が目に入った。まんま載せると特定出来てしまうので端的にいうと

会社の大小問わず、経営者は寝ても覚めても仕事である

しかも自分が今までやってきたことがすべて経験則として通用するとは限らない

だから自分の覚悟で走り続けろ

と言った内容だった。内容としては至極一般的な話に聞こえるかもしれないが、どうしてもその方と退職前に飲みに行ったときのことを思い出す。

二人で話した夜

僕は辞める直前それなりに高いポジションにいたので、退職希望の旨を経営層に伝えたところありがたいことに引き止めてもらった。もちろん僕も引き止められるだろうとは思ったが、それを踏まえて退職を希望していたので具体的な退職日についていかに会社に迷惑をかけないように進めるかに焦点を絞って話し合いを行った。さすがにそういった姿勢で僕が出るものだから、経営層としても「もう止められないだろう」と認識されたようで、僕も会社も協力しあって退職の準備を進めていた。そんななか、当時社外取締役だったその方から「週末の夜に時間があったら飲みにいかないか」と誘いを受けた。

僕は「最後の引き止めはこの人が来たか」と思って失礼のなさそうな店を予約した。引き止めなら社長も来るだろうと思ったから社長のスケジュールを調整しようと思ったらどうやら先約が入っている。これは不味いとその方に連絡を入れたところ、二人で飲みたいから社長は同席しなくていい、とのことだった。一体なにが始まるんだとビビりながら、予約をして、店の場所と時間を伝えて、ドキドキしながら待った。その間、その方から来た連絡は「予約ありがとう!」というメッセージだけだった。

当日は仕事をさっさと切り上げ、店の前で待っていた。少し遅れてやってきたその方は笑顔で現れて、第一声で遅れたことを詫びた。ああ、人格者だと思った。店に入ってからはお互いビールで乾杯してからいろんな話しをした。その時の会社の状況について、僕が見ていた事業部の展望について、業界全体の流行について。そして一通り話したあとに、すっと切り出された。

「なんで辞めようと思ったの?」

来たか、と。しかし僕の気持ちは決まっていたので、自分の考えていることを正直に話した。その人はずっと笑顔で、しかし真面目に僕の話しを聞いてくれた。相槌を入れて、時折笑いながら、静かに話しを聞いてくれた。そして口を開いた。

「きみみたいな人、たまにいるんだよな。応援したいから頑張ってよ。身体壊さない程度にさ。」

てっきり引き止められるのかと思っていた僕は思いっきり肩透かしをくらった。

「ただ、しんどくなったら帰ってきていいと思うんだよ。あいつ(社長)もそう言ってたし。」

「現実はしんどいけど、でもきみならやっていけると思うよ。ただ、金がなくなって飯食えなくなったら家に飯食いに来な」

「わからないことにぶつかりまくると思うけど、僕が答えられることもあるだろうからなんかあったら連絡ちょうだいよ」

と終始笑っていた。僕はなんだか驚いたというか気が抜けてしまって、ぽかーんとしていた気がする。あれ、なんだかすごい人が応援してくれるって言ってるぞ、どういうことだ?と。

そこから先は未来の話しをしていた。僕の新天地でどういうことができるか、世の中にどういう価値を提供できるか/しなくてはいけないか。さらに、業界として未来に向けてどういうことをやらなくちゃいけないか/どういう方向に向かってはいけないか。組織とはどうあるべきか、いままでがどうあって/これからどうなっていくのか。現在に縛られていた僕をさっと未来の話に導いてくれた。そのときあらためて、「ああ、この人は僕には想像もつかない人数の従業員を束ねて引っ張っていける人なんだ」と思い知らされた。そして帰り際に「てっきり引き止められると思ってたので驚いちゃいました」と伝えたら、その方は笑いながら一言返した。

「それがきみの覚悟なんだろ?」

自戒

そんな夜を経て、僕はさらに数社を転々とし、今は経営者として仕事をしている。その方が言っていた「きみならなんとかなる」という嬉しい言葉もすっかり記憶の奥にしまい、日々悶々としながら東奔西走して、自分のやってきたことに少し疲れてしまっていた。トップでも疲れたときは休みてーんだよとか思いながら、結局寝ても覚めても仕事のことを考えている。なんてうまくいかないんだろう、なんて疲れるんだろう、そんな愚痴が口から出る寸前の状態をずっと続けている日々でFacebookの投稿を見て自戒の念が生まれてきた。

ああ、こんなにすごい人でもやっぱり同じなんだ、と。

しかし僕は腐りかけて死に体寸前で仕事をしている。でもその方はあの時と変わらず前を向いて走ってる。あんなにすごい人が、同じようなことを考えながら、未来に向かって走ってる。そんな状態を見せつけられたらなにを腐ってたんだろうと自分が恥ずかしくなってきた。自分に何ができるかは重要だが、どういう未来があるべきかを考えて動かなくちゃいけない立場なのに。もう10年くらい前のあの夜を思い出して、まだ足元にも及んでないことを思い知らされた。しかしもう下から見上げるのはゴメンだ。僕はもっと努力をする。そして胸を張って横に立ってみせる。そういう気持ちにしてもらった。

ただ、当時からずっとその人は僕を下に見るわけでなく話をしてくれた。だからもう変な意地は張らずにいこうと思う。これから週末の予定を確認して、10年くらいぶりにまたメッセージを送ろう。

「ご無沙汰してます、週末の夜にお時間があったら久しぶりに飲みにいきませんか?」

*1:僕自身としては身バレしても大してダメージはないのだが

*2:対個人についてなんて言葉を使うのが適切なのかわからないので「出禁」にしておく