ふとした時に、たまに思うことがある。自分に何が作れるんだろうかと。
ディレクターという存在
IT業界におけるディレクターという存在はどのようなバックグラウンドを持つかによって3種類に分けられると思う。
- エンジニア出身ディレクター
- デザイナー出身ディレクター
- プランナー出身ディレクター
おそらく世の人が想像する「ディレクター」というのは3番目の「プランナー出身ディレクター」なのではないかと思う。簡単にまとめるならば「なんか面白いことを考えられる人」といった感じ。僕も一応プランナー出身ディレクターに属するのだと思ってるのだが、業界を覗いてみると別にプランナー出身ディレクターはそこまで多くないと思う。
むしろ実態として多いのはエンジニア出身ディレクターなんじゃなかろうか。いやわからんけどさ。イメージとしてエンジニアリングの中でどんどん企画にコミットして、気がついたらリーダー、そのままディレクターという肩書になっていた、みたいな人って結構いると思う。デザイナー出身のディレクターが多いのはweb界隈なんじゃないかな。webデザインと企画ってかなり領域として近いから「デザインする上で気になったところを口出しまくってたら気がついたらリー(以下略」と言った感じ。あくまで感覚値ではるが。
「作れる」技術
エンジニア出身ディレクターさんはその気になればモックくらいなら自分で作ったりすることができる。デザインは仮でも実際に動かせるとイメージが湧くので当然企画の濃さ*1も目に見える形に出来る。デザイナー出身ディレクターさんは動かなくても動いてもおかしくないようなデザインレベルまで企画段階で仕上げることが出来る。実際に動きそうなものが目の前にあると「使ってみるだろうか」をよりリアルに想像できるようになるし、昨今モック作成ツールはたくさんあるのでシンプルな動きであれば実装せずとも動きをイメージできるようになる。
プランナー出身ディレクターはなにができるのだろうか。僕の知っているプランナー出身ディレクターさんですごい人がいる。とにかく企画書を読んでいるだけでわくわくしてしまうし、話をしていて懸念点を伝えても返ってくる答えを聞くとなんだかすごく楽しそう/有用そうに聞こえてくる。これがプランナー出身ディレクターの境地なのではとも思う。
僕は?
自分を振り返って考えてみても、僕は「最高に面白そうなことを考えれる人」ではないように思う。もちろん順序立てて企画を作って、開発期には有象無象の判断をして決断を下せるとは思っている。だが、これって本当に価値なのだろうか。別に他の人でもできることなのではなかろうか。そんな疑問がつきまとう。なにせ、常に「人に作ってもらっている」からだ。決断もする、調整もする、だけど自分が手を動かしていないものを、僕は「僕が作りました」と言えるのだろうか。
僕はなにも作れない。作れないからこそできることもあると思う。そうして、「いかなる状況でも最善と思われる判断をする」 「最大の効果を出すことにのみ注力する」「調整が必要な時はなんとしても調整できるように握りを取る」「聞かれたことに可能な限り即答する」ということに専念して、実際に開発している人たちがやらないことをどうにかやってきた。それが変に認められてしまってお山の大将として立っている。
技術を持たない人間として
ある意味いまやっていることも「他の人にはできないことをやっている」のかもしれない。だけど「自分では作れない」ということがいつまでも僕の頭の中に残り続ける。もちろん「手を動かした人が偉い」わけではないが、「手を動かした人は偉い」と思ってしまう。こんなコンプレックスがあるからこそ、開発陣には負担をかけないように立ち回り胸を張って「これは僕が作りました」といえるようになりたい。ただ、このままでいいのかは今でもわからない。わからないから僕は音楽や写真を撮るんだと思う。作るのは難しい、その気持ちがほんの少しでも共感できるようになるために。
*1:面白さだったり、面白くなくても少なくとも「面白いか面白くないか判断できる」レベルに達しているかどうか