ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

わりと理解できない習慣

社内チャット*1をぼーっとみていて、いつも「なんなんだろうこれ」と思うことがある。

本当によくわからない習慣

【メモ】というポスト

主に定時後のポストで結構あるのが

【メモ】 〇〇は☓☓してあるので明日確認。

みたいな内容。これがいまいち理解できない。共有したいなら【共有】って書いて、pinしておけばいいのに、なぜ【メモ】でpinもしてないのか。本当にメモなら自分のDMにポストしておけばいいだけだから、おそらく「共有しなくちゃいけない/しておいた方がよい情報だ」ということはわかっているんだろう。ならそのまま共有すればいいのに、なぜわざわざ「あくまで自分用のメモですよ」みたいなことを断るんだろうか。なるべく想像を膨らませてみたけど未だに分からない。

担当者が決まっているのに近くの担当外の人に話しにいく

これもなかなかに理解しがたい事案だと思ってる。例としては

  • 業務で修正発生
    • 修正する際、担当者はAさん
    • 発見したテスターBさんはテスターCさんに話してから担当者Aさんに修正依頼を出す

みたいなケース。これだけ書くとあんまりおかしく感じないけど。 いや、修正する人決まってるんだから「ここバグ出ちゃってるよねー、直さないとねー、どうしよっか」とか内輪で話してる暇あったらすぐ担当者のところいけばいいのになぜ行かないんだろう。世間話をしたい気持ちもわからなくないけど、担当者からすればさっさと情報よこせよって思ってるだろうし*2、わざわざ聞こえるような距離まできて他の人に向かって喋る意味が理解できない。

言いっぱなし

結構「え、〇〇って☓☓なの」で終わるチャットを見たり、話し声を聞くんだけど、☓☓じゃダメだと思ってるならなんで最後の「見直しませんか?」とかが言えないんだろうなと思う。見直す必要が無くてただの感想なら「え、〇〇って☓☓なの、別にいいんだけど」とか言えばいいのに。ディレクターという立場がらそういう声は極力拾うし、経営サイドに入ってからはより吸い上げねばと動いてはいるけど、直接最後までいい切れば9割の手間が省けるケースが非常に多くてなぜそこで止めてしまうのかというのが理解できない。最初の数回はいいかもしれないけど、結局解決までのプロセスがある程度わかっているのに投げっぱなしている状況をみると「どういう考えがあってそこで止めるのか」が理解できなくて困惑することが多い。

別に直さなくてもいい

直せ!というわけではなくて、意図がわからないから教えて欲しい、それだけなのだ。解決したいんだったら適切(と思われる)な方法を選択すればいいのになんでなんだろう。幸い今のメンバーは「それ、なんでそうするの?」と聞くと「あまり意味はなかったから次はこういう風に言おうと思う」とすぐレスポンスをくれるから助かる*3。長年の謎、未だに解けないけどなにか腑に落ちる説明が出来る人がいたら是非教えてほしい。今後の立ち振舞の参考にしたい。

*1:うちはslack使ってる

*2:僕が担当者だったらそう思うし

*3:別に怒ってるわけじゃないし、相手から反省というよりは「たしかにそっすね」くらいの温度感

オーディナルスケール所感

週末、都内某所に用事があったのでその足でSAOオーディナルスケールを観てきた。映画自体の話と合わせて、初めてMX4Dを体験したのでその辺と交えて。

所感

  • 1時間半でまとめるとどうしても駆け足感はあった
  • 公開前から思ってたけどAR着目は流石だと思う
    • 構想段階ではまだポケモンGOも話が盛り上がってなかったと思うし
  • オーグマーのデザインは今後のハード開発の参考になるんだろうなと思う
  • 結局ユナの幽霊はAIのトレースだったのかなんなのかわからなかった
    • 消える前の挙動的に幽霊ではなさそう
    • でもAIアイドル版ユナとは明らかに違う自我みたいなものは持ってた気がする
    • するとあのユナはAIから派生して、収集されたデータから生まれた傀儡廻的な限りなくユナに近い思念?
  • 今回もSAOのネカマコンビ出ててよかった
  • 全員集合感は映画としてすごく「やっぱこれだな」って感じがしてよかった
  • ユウキをここで出さんでもと少し思ったけど、結局泣きそうになった
  • SAO100層のボス、ロマサガ感あった
  • ラストの無双キリトさんはちょっとよくわからなかった
  • この辺の話はもうちょっと掘り下げてほしかった
    • 重村教授とユナの関係(日常描写)、オーグマーを使った計画に至るまでの話
    • エイジが重村教授の話に乗るに至るまでの話
    • ユナとエイジの関係(SAO内での交流)の話
    • キリトが現実世界でいかにして身体能力を追いつかせたかの話
    • アスナの失った記憶の範囲の詳細
      • 星を見に行く日程を決めたことすら忘れてた?SAO外の記憶も失ってた?
    • エイジの使ってた身体能力上げるあれの話
      • 簡易パワードスーツだったのかな
  • オーグマーでフルダイブできるってのは上手く辻褄があってたと思う
    • ディスプレイ無しで視覚情報を付加できる=脳に直接影響を与えられるということだと思うので
  • 制作協力にIPAが入ってるの未来が明るい感じがして最高
  • どうしてもシノンが空気感あるのが切ない
  • ALOシノンの普段着の破壊力ヤバい
  • MORE DEBANが完全にあれな感じで不憫(特にリズ)
  • LISAの『catch the moment』作曲田淵さん(USG)/編曲江口さん(SFoY)なのね
    • 最高でした
  • 舞台がわりとよく行く場所ばかりで、無駄に親近感が湧いた
    • 具なしペペロンも
  • TOHOシネマ新宿で観てたんだけど劇中で映って非常にテンション上がった
    • TOMOシネマ
  • 風林火山みたいなギルドは本当に楽しそうで羨ましい
    • 昔MMOやってたときの楽しかったギルドを思い出してすごいセンチメンタルになった
  • エイジは普通に刑事事件起こしてる(クラインの腕折ってる)けどその後どうなったのか
  • ユイは本当にできる子
  • アリシゼーションに繋がるんだなーと思うとすごい良い時系列的な差し込みだと思った
  • 菊岡さん拳銃はマズイんじゃないですかね
  • すごく地味だけど、彼女とビデオ通話しながら自然に飯食うっての、結構近未来的だと思った
    • 今の時点でビデオ通話って、少しかしこまるというか、「話がしたい」ときのツールだと思う
    • でもOSでキリトとアスナが使ってたのは本当に「そばにいたい」みたいな感じだった
      • 普段わざわざ見せないような日常すらもさらっと共有してるような描写って今の社会よりもっとテクノロジーが日常に溶け込んでいるような感じがした
  • MX4Dは普通に楽しかったけど想像の2倍くらい動いてアトラクション感あった
    • 個人的には楽しめたが、「映画に浸りたい(ガッツリ観たい)」という人には不向きかも
    • 最前列で観てたけど席の配置が最初から少し離れてる(MX4D仕様)ので首は疲れなかった
    • というか没入感的には最前列の方が良いかも(視界いっぱいに画面があってのめり込める)
  • とりあえずアスナめっちゃいい匂いだった
  • 来場者特典はキリト/ユナ/エイジのだった(キリト/アスナ/ユイのが欲しかったけど概ね満足)
  • アリシゼーションは1時間半に収まらないだろうし、2クールまるっとアリシゼーションなのかなとか考えてた
  • 1時間半は短いなと思いつつ、やりたいこと詰め込んであれだけまとめ上げるのは本当にすごいと思う
  • スタッフの皆さんの愛と努力と才能の賜物だったなとしみじみ思った

総評

とってもよかった。

Catch the Moment(期間生産限定アニメ盤)

Catch the Moment(期間生産限定アニメ盤)

いろいろ職場環境が変わった

tokidokidj.hatenablog.com

前回こんな話を書いた。

また変わった

というか布石みたいなもの*1ではあったんだけど、オフィスの移転に伴い経営者にクラスチェンジした。いままではいち事業責任者だったが、完全に経営サイドになってしまった。

仕事の仕方がどう変わるか

結果を出さなくちゃいけないとか、メンバー食わせねば、みたいなところは別に変わりないんだけどより細かな会社の数字に入っていかなくちゃいけなくなったので頭の使い所は変わりそうなところである。変わると言えば変わる。変わらないといえば変わらない。ただ会議の回数は必然的に増えるだろうからリモートとの折り合いをどう付けられるかが肝になる見込みだ。

生活がどう変わるか

残念ながら別に給料は変わらないからそんなにいい暮らしができるようになったわけではない。世知辛い。なので生活面に関してはいままでと変わらず、のんびりまったり好きなことを金銭の許す範囲で楽しんでいこうと思う。ただ立場が変わる*2ので下手のことはできないなーと思う。別に立場が変わらんでも下手なことはしちゃいけないんだけどな。

今後の意気込み

自分が実質トップみたいなところに座っているのは慣れているんだけど、やっぱり肩書が変わると気が引き締まるというか緊張するというか、そういう気持ちが沸いて出て来る。ワクワクするというよりビビってるという感情の方が多いし、この感情は「ビビってる」という表現が一番正しいのではと思う。絶え間ない緊張感と一緒に頑張っていくしかないので、頑張って頑張って頑張って行こうと思う。

*1:分社化に伴う移転だったので

*2:社会的な意味で

大量買いに対する納得感を得た

僕はかねてから小林銅蟲氏のブログのファンである。

negineesan.hatenablog.com

購読者諸氏なら理解できると思うけど、文章の中毒性に負けず劣らず「大量の美味しそうなもの」を目の当たりにすると人間はそこに酷く官能的でひどく動物的な希望を見出すのである。平たくいうと美味しそうなもの見てるのたーのしー!*1ということだ。そんな小林銅蟲氏のブログの魅力の一つは暴力的なまでの大量買いにもあると思う。

とりあえずキロ単位で買うあの感じ、見習いたい。ところが基本的に僕は少食だし、あまり人を呼んでご飯つくったりしないタイプなので「しかしまー毎回すごい量だな」と思っていた。そんな折、友人数名を呼んで持ち寄りパーティをした時に初のホストとして色々準備してたら大量に買っとく気持ちがよくわかった。

もてなそうという気持ち

せっかく来てもらって食べるもの/飲むものが足りないってのもなんかなと思いながらAmazon楽天でポチポチやってたらすごいことになってた。

  • 魚みんな好きだもんな
  • 200gったって可食部もっと少ないだろうしな
  • ちょっと多めに買っておくか
  • とりあえず2kgと
  • ビールはあとから買いに行くのもあれだし一気に買っとくか
  • 余っても自分で飲めばいいしとりあえず2箱と

といった具合で、数名だっつってんのにあれよあれよという間にとんでもない量を注文してしまった。なんだろう、足りないより「誰か食うだろ」みたいな気持ちが優先されてしまうように人間はプログラムされてるんだろうか。これに関しては楽しんでもらいたいという「もてなしの気持ち」が過剰に働いた結果、人間は大量購入してしまう生き物なのではという結論に至った。あとは大量に調理するほうが楽*2というのもあると思うが、根源的には「お腹いっぱいになってもらいたい」「あとから追加で買いにいく手間を取りたくない/取らせたくない」というところかと思う。

テンションが上がる

実際頼んでからしばらくして「どう考えても買いすぎた」と一応気づきはしたんだけど、いざモノが届いてみるとわりとテンションが上がってしまい、結果すごく楽しかった。塊肉とか、発泡スチロール箱いっぱいの魚介類とか見てるだけで笑顔になってしまうし、二箱ビールが冷蔵庫の横に置いてあるとここは天国かという気持ちになる。大量の野菜、というものについては今回経験できなかったが、鍋の前にザルに盛られたたくさんの野菜を想像してみるとやっぱりたくさんある=テンション上がるの構図は野菜においても同様に働くものと思われる。

美味しいものはよい

無駄にするということさえしなければ、美味しいものがたくさんあるというのは大変に幸福感を得られる状況だということがよくわかった。そう考えると、なにかを買う時に大量購入する気持ちに納得感が出てきた。とにもかくにも美味しいものをたくさん用意したいのだ。ただただそれだけである。美味しそう=たのしい、たくさんある=すっごいたのしい、そういうことだ。

話変わって

小林銅蟲氏といえば低温調理で名を馳せる方だが*3、低温調理つながりだとぶち猫女史のブログも大好きなブログのひとつ。

buchineko-okawari.hatenablog.com

小林銅蟲氏のあげる圧倒的な写真もよいが、ぶち猫女史のあげる写真はとにかく雰囲気が出ててすごい。どちらが偉いとかどちらが優れてるというわけではないことを前提に、ぶち猫女史の写真はみんな料理本のいちページみたいでめちゃくちゃ洒落てる。みんな美味しそうだし、料理うまい人ってすごいなーと毎回ワクワクする。ちなみに小林銅蟲氏の写真で好きなのは低温調理カツ丼と、牛タン。anova導入以前の写真も好きなの一杯あるんだけど、牛タンは

やけました。細い側がうまいゾーンで、太い側が超うまゾーンです。

 

62.5℃で正解だと思います。たぶん63℃でも平気。この状態だとグニャグニャでもゴリゴリでもなく、ちょうどいいテクスチャでサクサクと噛み切れます。究極なので、昔の人は世界を大きなタンのような形だと考えていました。

という文章と相まって一番好き。

negineesan.hatenablog.com

ぶち猫女史の写真で好きなのは「週末の愉しみ 日本酒魚会」の蒸し牡蠣。でかい鍋いいなーと思いながらスクロールした際に遭遇できるの牡蠣の美しさよ。あと週末に持ち寄りで日本酒を魚で一杯ってすごくおしゃれな大人の嗜み*4で憧れる。

buchineko-okawari.hatenablog.com

なんにせよ

美味しいものは楽しいし、見てて美しいし、多幸感あるからみんな大量に買ってたのしくめしにしましょうというあれでした。

*1:大量購入するフレンズである

*2:量のインパクトにより多少雑に作っても許される気がしてくる

*3:もちろん漫画も大好き

*4:たまにやらなくもないんだけど僕の場合はもっと雑でとっ散らかった感じになる

仕事環境が変わった

今年からリモートを始めたり、自分の仕事環境はいろいろ変わっているんだけどこの度オフィスまで移転することになった。その影響でしばらくドタバタしていたためなかなか書く機会が無かったが、ようやく落ち着いてきたので久しぶりにブログを書けている。

移転したメリット

今までのオフィスが正直人数に対して狭すぎたので昨年からオフィス移転計画を進めていた*1。新オフィスはまあまあ広い。やはり広さが確保できると大きめのデスクを搬入したりしても息苦しくなくていい。開放感も重要だけど、根本的に「広い」というのは精神的によい。いままですごく苦労していたわけではないけど新オフィスに移ってからはみんな調子もよさそうなので、世の経営者各位はみんな広めのオフィス借りた方がいいと思う。まあどうせ数ヶ月か1年経つと人が増えてまた手狭になるんだろうけど。

リモートとの兼ね合い

リモートワークはリモートワークで続けている。進捗良好です。以前から書いてるように決して時間的余裕が生まれるわけではないが、精神的な余裕は生まれたと思う。ただし、ずっと部屋にいると本当に身体を動かさなくなるから朝の散歩(疑似通勤)と夜の散歩(疑似退勤)を心がけようと思う。貯金して椅子を買い直す必要も感じてきた*2ので日々の節制を続けつつ夢を膨らませていこうと思う。

他のメンバー

僕のような立場の人間がリモートをすることでもっと社内の他のメンバーがリモートで働けるようにしたいというのも前から書いていたが、一人新たにリモートを導入したメンバーが出てきた。現状は僕と同じく週1日だけリモートワークにしている。これできちんと結果につながると非常によいと思ってるので、今後もフォローしつつさらに他のメンバーでリモートワークを導入したい人がいたら支えていきたいと思う。若干問題があるとすればオフィス移転の影響*3で「リモート予定の日もオフィスに顔出したりする」のが嬉しい半面なんだこれ状態だというくらいか。タイミングが悪かった。

*1:株主総会で棄却されなくてよかった

*2:今の椅子が壊れたわけではないけど、もうちょっと長時間座っていて苦にならないものにしたい

*3:机が広い、きれいなうちに使いたい、という理由らしい

謎の浮遊感

わりと頻繁にあるのだが、身体がふわふわするような、地震が来た時にちょっとクラっとくるような、そんな感覚を覚えることが多くなった気がする。こういう感覚になることは昔からあるにはあったのだが、開発の追い込み時期とかで終電ダッシュで30連勤みたいな時くらいにしかなかったのに、今は1日に1回くらい感じているような気がする。

原因

いまのところわかってない。健康診断も毎年オールokで通ってるし、生え際が後退したくらいしか目立った衰えはないのに。ちなみに

開発の追い込み時期とかで終電ダッシュで30連勤みたいな時

に当時の上司との1on1で「最近身体がふわふわするんです。トランポリンの上を歩いているみたいで楽しい」と話をしたら「それは典型的なうつの兆候だからリリースしたら1週間休め」と言われたのはいい思い出だ。そういえばその年の健康診断では問診の際に「数値面では健康となっていますが、明らかに精神的には不健康と言わざるを得ないので心療内科を受信することを強くおすすめします」と言われたな。行って無くてごめんなさい。

対応

身体の衰えが原因なのか精神の疲れが原因なのかわからないので、念のためそれぞれの対策を練るのがよいと思われる。

身体面

圧倒的に栄養が足りていないのは目に見えている*1。まずはきちんと食事を摂ることに専念したい。食事の回数が多くないので、1食1食に可能な限り栄養がありバランスもとれている状態を目指したい。振り返り資料のために「毎回食事の写真を撮る」というのもいいかもしれない。iPhoneのカメラロールがすごく女子力高くなりそうだ。あとはサプリメント。頼るべきではないという話もよく聞くが、サプリメントだけで栄養を摂るのではなく食事+サプリメントの構成で摂取すれば問題無いだろう。ある程度費用はかかりそうだが、必要経費として割り切ることにする。

精神面

年が明けてから「楽しいことをする」と決めているので極力楽しいことベースで動いていきたい。

tokidokidj.hatenablog.com

ただ、体力的/金銭的に迷うこともあるとは思うので

たとえばビート組むとかってすごく好きだし楽しいんだけど、往々にして何かを「作る」ってすごい楽しいけど同時にめちゃくちゃ辛い。納得行くものができなかった時の絶望感とかがすごい。なので、ビートを組むってのは「今日はもうビート組みたくて組みたくてしょうがない!」って時だけ実行するようにした。そうしたらモチベーションも高い状態で作れるし、結果がダメでも「今日はひどい出来だったな!」と無意味に落ち込んだりしないでいられた。惰性で作って落ち込むのではなく、体調面とか含めて満ち溢れてる時に作るってのはいいのかもしれない。

のように、「無条件的に楽しいはず」と思える状況でなければやらなくてもよい、というルールを追加しようと思う。惰眠を貪るのもそれはそれで価値があるとして、如何に無条件的に楽しいと思える状況を探せるかが鍵になるだろう。

心身の健康に向けて

気合をいれて頑張ろうとするとかえって疲れるのが目にみえているのでゆるく動いていきたいと思う。よくなるといいな、どうすればよくなるかな、という姿勢こそが一番肩の力を抜いた状態で目的に到達できる気がしてる。ゆるく、健やかに、やっていきましょう。

*1:もとから食生活が雑なので

自分になにが作れるのか

ふとした時に、たまに思うことがある。自分に何が作れるんだろうかと。

ディレクターという存在

IT業界におけるディレクターという存在はどのようなバックグラウンドを持つかによって3種類に分けられると思う。

  • エンジニア出身ディレクター
  • デザイナー出身ディレクター
  • プランナー出身ディレクター

おそらく世の人が想像する「ディレクター」というのは3番目の「プランナー出身ディレクター」なのではないかと思う。簡単にまとめるならば「なんか面白いことを考えられる人」といった感じ。僕も一応プランナー出身ディレクターに属するのだと思ってるのだが、業界を覗いてみると別にプランナー出身ディレクターはそこまで多くないと思う。

むしろ実態として多いのはエンジニア出身ディレクターなんじゃなかろうか。いやわからんけどさ。イメージとしてエンジニアリングの中でどんどん企画にコミットして、気がついたらリーダー、そのままディレクターという肩書になっていた、みたいな人って結構いると思う。デザイナー出身のディレクターが多いのはweb界隈なんじゃないかな。webデザインと企画ってかなり領域として近いから「デザインする上で気になったところを口出しまくってたら気がついたらリー(以下略」と言った感じ。あくまで感覚値ではるが。

「作れる」技術

エンジニア出身ディレクターさんはその気になればモックくらいなら自分で作ったりすることができる。デザインは仮でも実際に動かせるとイメージが湧くので当然企画の濃さ*1も目に見える形に出来る。デザイナー出身ディレクターさんは動かなくても動いてもおかしくないようなデザインレベルまで企画段階で仕上げることが出来る。実際に動きそうなものが目の前にあると「使ってみるだろうか」をよりリアルに想像できるようになるし、昨今モック作成ツールはたくさんあるのでシンプルな動きであれば実装せずとも動きをイメージできるようになる。

プランナー出身ディレクターはなにができるのだろうか。僕の知っているプランナー出身ディレクターさんですごい人がいる。とにかく企画書を読んでいるだけでわくわくしてしまうし、話をしていて懸念点を伝えても返ってくる答えを聞くとなんだかすごく楽しそう/有用そうに聞こえてくる。これがプランナー出身ディレクターの境地なのではとも思う。

僕は?

自分を振り返って考えてみても、僕は「最高に面白そうなことを考えれる人」ではないように思う。もちろん順序立てて企画を作って、開発期には有象無象の判断をして決断を下せるとは思っている。だが、これって本当に価値なのだろうか。別に他の人でもできることなのではなかろうか。そんな疑問がつきまとう。なにせ、常に「人に作ってもらっている」からだ。決断もする、調整もする、だけど自分が手を動かしていないものを、僕は「僕が作りました」と言えるのだろうか。

僕はなにも作れない。作れないからこそできることもあると思う。そうして、「いかなる状況でも最善と思われる判断をする」 「最大の効果を出すことにのみ注力する」「調整が必要な時はなんとしても調整できるように握りを取る」「聞かれたことに可能な限り即答する」ということに専念して、実際に開発している人たちがやらないことをどうにかやってきた。それが変に認められてしまってお山の大将として立っている。

技術を持たない人間として

ある意味いまやっていることも「他の人にはできないことをやっている」のかもしれない。だけど「自分では作れない」ということがいつまでも僕の頭の中に残り続ける。もちろん「手を動かした人が偉い」わけではないが、「手を動かした人は偉い」と思ってしまう。こんなコンプレックスがあるからこそ、開発陣には負担をかけないように立ち回り胸を張って「これは僕が作りました」といえるようになりたい。ただ、このままでいいのかは今でもわからない。わからないから僕は音楽や写真を撮るんだと思う。作るのは難しい、その気持ちがほんの少しでも共感できるようになるために。

*1:面白さだったり、面白くなくても少なくとも「面白いか面白くないか判断できる」レベルに達しているかどうか