ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

滅多にみない夢をみた

お題「最近見た夢」

すごく懐かしい人たちの夢をみた。彼らは学生時代の同級生と、先輩たちだった。そして僕の憧れだった。

一番近くにいた「作る人たち」

もとは同じ学科で妙に気があうやつと出会ったのが始まりだった。なんとなく音楽の話をしたらびっくりするぐらい趣味のバックグラウンドが近く、僕らはすぐ意気投合して遊ぶようになった。 彼は世間的にいうところのクリエイターだった。僕も彼も「クリエイター」という言葉が大嫌いだったからそう名乗ることは無かったが、絵を描き、音を作り*1、映像を撮る、そんな男だった。僕は写真を撮るというバックグラウンドがあったし、その頃にはDJもしていた上に、デザイン(を見るの)は好きだったので仲良くなるのも当たり前の流れだったのかもしれない。 ただ、彼と僕との違いは決定的にあった。「度胸」だ。僕は自分の作品に自身が無かったから外に向けて何かを出すということはあまりしていなかった。その頃はDJをやるのも知り合いづての「これなら自分も参加させてもらってもいいかも」と思えるパーティ*2でしか回してなかった。 彼は違った。常にハッタリ半分で、どんな大舞台でも「出来ますしやれます」と言って、本当にやってのけていた。彼の映像は国内外でささやかながら評価され、彼の音は色々な人を巻き込んで各所でイベントを作り、彼のデザインは自主発行ではあったが書面になって流通した。僕は常に彼から「お前もやるだろ!いいから早く詰めて作り始めるぞ!」と声をかけてもらい、よりほそぼそと制作に励んだ。

自分が「いなくなる」瞬間

ある日彼に飲みに行こうと誘われた。早めに着いたから先に店に入っていると言われ、指定された店に行くと、通された4人席は2つ埋まっていた。そこで友人と一緒に僕を待っていたのは1年先輩の人だった。その人は特定のジャンルでは名のしれたミュージシャンで、僕も友人を通して紹介されていた。なぜその人がいるのかはわからなかったが、ただただ仲のいい友人と尊敬している先輩に飲みに誘われたことに気を良くして「遅れてすみません」と笑いながらビールを頼んだ。 そこからは他愛のない話しがしばらく続いた。学生なのに僕らは「〇〇の新譜が良かった」「△△の映像作品がDVD化されたから買ったらめちゃくちゃ良かった」「☓☓のパーティで酔い潰されて死ぬかと思った」と学業の話しをそっちのけで熱く話しあった。そしてそのときは来た。

「新しく団体を立ち上げることになった」「お前にやって欲しいことがある」「あの話し、興味あるだろ?」

いつも僕を巻き込むときと同じ話し方だった。嬉しかった。興味のある分野だったし、大好きな二人から声をかけられたのが僕にとっては最上の褒め言葉と等しかった。だけど僕の心は締め付けられるように傷んだ。 彼らは「彼らの新しい団体を作った」のだ。僕と一緒に団体を作ったのではなく、「彼らだけの団体」を作り、外の人間として僕に声をかけてくれたのだ。これは彼らに全く非のない話しだが、僕は「一緒にやる人間」に選ばれなかったことを悟った。それは僕が学業を最優先して、自分の勉強している分野に心酔していることを知っている彼らなりの気遣いがあったんだと思う。ただ、それでも僕にとっては「彼らの居場所から、自分が『いなくなる』瞬間」を確かに認識した。その後しばらく彼らと一緒にいろいろなものを作った。こんな僕をいつも誘ってくれた。僕が「忙しい」とか「自分はそんな大したものじゃない」とか今考えても吐き気がするほどどうでもいい理由を並べて参加を断っても、何度でも誘ってくれた。しかし次第に彼らの団体の屋台骨が仕上がってくるにつれて、僕ができることは本当になくなっていき、関係が悪化したわけでもなんでもなく、次第に連絡をとることが少なくなっていった。 断じて言えるが、彼らが僕を遠ざけたわけではなく、同じように僕も彼らから距離をとったわけではない。ただただ「そうなった」という事実だけがある。そして彼らは学校から去り、僕は学校に残った。

夢をみた

その後、数年経っても彼らと一緒に遊ぶことは続いた。いつも楽しそうに笑い、全力でいじりいじられ、僕らは変わらなかった。今となっては本当に会わなくなってしまったが、いまでも会えば同じようにいじりいじられ、騒ぎ倒せると思ってる。だが、あの頃と同じように笑えるだろうか。僕は彼らの前でかつてと同じように笑顔でいられるだろうか。正直、僕にはその自信がない。彼らの気を悪くしないように必死に笑うと思うが、あの頃の笑顔と同じ笑い方はできないのではないか。そんな今、夢で彼らと会った。

夢のことだから詳しい状況は覚えていない。賑やかな居酒屋みたいなところで、それでいてコワーキングスペースのようで、学生時代に溜まっていた友人の部屋のようでもあった。彼はいつもの笑顔で僕にこう聞いた。「次はどんなヤバいの作ってるの?」 ダムの放水の如く僕は喋っていたと思う。いまこんなのを作ろうとしてる、この前はこんなの作った、作っても作っても不安が拭えなくて本当に辛い、お前らの新しく作ったやつ観たよ、嫉妬するぐらいかっこよかったし多分めちゃくちゃ嫉妬してる、僕はいままでなにやってたんだろうと自責の念で死にたくなることも多い、もっともっと作りたいしもっともっと「いいもの」を作りたい、でも最近なにがいいのかすらわからなくなってきた気がする、なにかを変えなくちゃって思ってるのになにから変えればいいのかわからなくて鬱屈としてる、そんな僕にとってはお前らが希望だ。夢というのは往々にして理解できない状況が平気で成立してしまう。僕が喋れば喋るほど、彼らは物理的に遠くへ行ってしまった。ついさっきまで隣に座っていたはずだったのに。笑いながら僕に向かってなにかを喋ってくれていたが、表情を見て取るのがギリギリなくらい距離ができてしまった状況では内容は聞き取れなかった。僕は必死だったんだと思う。まだもっと話したいことがあると僕が叫んだ瞬間、目が覚めてしまった。

心の栄養

別に彼らは死んでない*3。だからなにかお告げめいたものではないと思う。夢から覚めてしばらくはどうしようもなく甘美な余韻と耐え難い孤独を感じて呆然としていた。夢が深層心理に起因するものであれば、僕はまだ彼らの居場所に同じ高さで立てることを諦めてないのだと思う*4。そして、諦めてないからこそ今の高低差を感じて焦っているのだろう。 郷愁の念ではないが、過去の環境を思い出して浸るのは甘い甘い経験だった。それ自体がなにを生むわけでもないけど、心に向かって栄養が流れていくようなそんな気すらした。栄養は燃料だ。燃料を得たらそれを燃やし、進まなくてはならない。エンジンでも脳でも、燃やすものがある以上は働かせて前へと向かわなくてはならない、そう思った。 甘かった、美しかった、だけど死にたくなるくらい辛かった。次いつ会えるかはわからない。でも夢の中で会って「彼らからもらった栄養」*5を糧に、1mmでも前に進まなくちゃいけない、今はそう信じてる。もし少しでも彼らに近づけたら、次に会ったときにはもう一度、あの頃と同じように笑って「遅れてすみません」と言える気がするのだ。

*1:後に彼にそそのかされて自分で曲も作るようになった

*2:初めて回す人ばっかりの身内パーティとか

*3:それどころか第一線で活躍してる

*4:彼らの居場所にいれてもらいたいのではなく、「同じ目線で立っていたい」という気持ち

*5:自分の頭の中で起きていることなのだから自家発電感も否めないが