加湿器に給水するたびに「もしここにおしっこ入れたら……」と思ってしまう。それをしない方向に繋ぎ止めてるのが「デメリットやばい」という損得なのが怖い。もし、脳のその部分だけぶっ壊れてしまったら絶対にしてしまうから。薄氷ですよ。その薄氷をお互い信じあって成立してる「社会」は凄まじい。
— 永田 (@NagataBros) 2021年1月27日
最近オモコロ関連の話が続きすぎている気がするけど、永田さんの上記ツイート*1*2が端的に著してくれている。
なんでこんな話を書いているのかというと、これまたオモコロ関連だが先日読んだ品田遊『名称未設定ファイル』で『有名人』という話が気に入ったことに端を発する。内容は「奇怪な行動をとり大暴れする主人公がSNSで拡散されメディアで人気が出るも罪を犯して逮捕/非難される」という話。この話の素晴らしいところは最後の2文で、「なぜそんなことをしたのかと非難されたが、俺はもとから狂ってるんだから当たり前だろ」というオチなのだ。つまり、「奇怪な行動をとる人間であっても罪は犯さないだろう」と無条件の信頼が発生しているこの社会への皮肉ということだ。
これを最初に読んだときに思い出したのが、伊藤計劃『The Indifference Engine』に収録されている『セカイ、蛮族、ぼく。』という短編。
ぜひ買って読んでほしいけど、どうやらこの短編が寄稿された同人誌が公式に「転載可」として全文公開してるようなので検索して読んでもいいとは思う。この作品は蛮族である主人公の日常を描いているのだが、蛮族なので当然不条理なことをして周りは迷惑を被るというギャグ*3と、本来蛮行をしたくてやってるのではなく「蛮族だから蛮行をしている」ということに対する主人公の心のズレが描かれる作品でもある。なんでこれを思い出したか。不条理にあう人間は相手が蛮族なんだから近づかなければいいのに、普通に近づいていく=無条件の信頼が発生しているからだ。
先の永田さんの言葉を借りるならば、「デメリットやばい」というのが万人に共通するという保証はどこにもなくて、それが損得や信頼というものだけで成り立っている「社会」ってやつは相当やばい。恐怖を感じる。
僕が毎朝通る道にガソリンスタンドがある。通るたびに「もしいま給油しているあのおじさんが急に火のついたジッポライターを投げ込んだら僕も死ぬんだろうな」と考えている。あるいは乱心した僕が投げ込んでも同じことが起きる*4。ただ「ガソリンスタンドを爆破したらやばい」という感覚のみでこれが起きてないだけで、「ネジ外れた人が給油してたら死ぬかも」と覚悟を決めて今日もガソリンスタンドの横を通り過ぎていく。