ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

持ち手の取れたマグカップと人間関係は似ている

先日ぼーっと考え事をしながら皿洗いをしていたら、普段使っているマグカップを落としてしまった。幸い粉砕はしなかったが、きれいに持ち手の部分がポキっと取れてしまった。新しいものに買い換えようかと思ったが、長く使っていて愛着もあるし、つい先日茶渋を綺麗さっぱり落としてピカピカにしたばっかりだったため、なんとか直せないかなと考えて木工用ボンドで持ち手をくっつけてみた。きれいに取れてしまったのが幸いして、くっつけるのは容易だった。数日かけてボンドを乾燥させて、さーて復活したからまた使えるぞと思ってコーヒーを注いでみたのだが、自分でも驚くくらい「持ち手を持つのが怖くてカップ部分を持ってしまう」という状況に陥った。せっかく持ち手を付けたのになぜだろうと考えてみたところ、「熱いコーヒーを入れている状態でふいに持ち手が取れたら危ない」と思ってしまって持てないのだと気がついた。一度持ち手が取れるまではそんなこと考えたこともなかったのに、「取れた状態を知っている」と「また離れるかもしれない」という恐怖が生まれるのである。と、したところで、これって人間関係に似てるなと思った。

一度離れてしまうとなかなか不安が拭いきれない

人間関係にもいろいろなものがある。例えば家族や恋人、例えば友人、例えば仕事関係。一番わかりやすいのは恋人との関係だろうか。一度浮気をされると、なんでもないようなことでも「もしかしてまた浮気をしているのではなかろうか」と不安に思ってしまう、こういうことはままあるだろう。取れたことのないマグカップの持ち手と同じで、人間関係も「一度離れてしまうとなかなか不安が拭いきれない」のだ。

友人においてもそうかもしれない。一度仲違いをしてしまうと、些細なことでも「あれ、また怒らせたかな?」とか「またああいうことしてきやがったな」とか思ってしまうこともあるだろう*1。なにかしらの「心の距離が開いた状態」を知ってしまうと、ふとした瞬間にまた同じことが起きているのではないかと想像してしまう。

仕事の人間関係でも同じだ。一回不義理を働けば「そういうことをする人だ」という印象を相手に持たせてしまうし、失敗をすると「あの人はこういう失敗をしたことがある」という記憶が残ってしまう。これは当然なことだろうと思う。

だけど強固に付いたものは大きな信頼に変わる

ただ、「離れた状態」を知った上で、それを乗り越えた経験を持てた仲というのは強い。漫画などで「土手で殴り合って、結果親友になる」みたいな展開*2だ。雨降って地固まるという状況は実際にあると思う。恋人関係においてはまだ僕が未婚のため確証を持って言うことはできないが、友人関係/仕事関係であれば

  • 一度大喧嘩をしたあとにどちらともなく謝り合って未だに飲みに行く十数年来の友人
  • 大きな失敗をやらかした(当時僕は自分が悪いと思ってなくて揉めた)けど頑張って挽回してなにかあると仕事を振ってくれる信頼できる取引先

が僕の現実としてある。「離れたときのこと」を知っているから、相手が嫌がること/自分がされたら嫌なことがお互いわかっているので変な勘ぐりもしない。お互いがお互いのことを考えつつ、自由に言い合える関係ができる。強固になった関係は単純な安心感を超えて信頼へと変わるのだ。だから僕は、とりあえずアロンアルファを買いに行こうと思う*3

*1:そんな小さなことを気にするような仲は友人関係とは言わないのかもしれないが

*2:実際そんな漫画読んだことあるかと言われると特に無い気がする

*3:木工用ボンドは水溶性だから怖いんだよね