ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

発信する人によって腑に落ち方が変わることについて

仕事をしていて「こういう考えだからここはこうしたいんだよね」とか「僕はこう考えてるからこういう風にやってほしい」と伝えてもいまいち反応が悪いことがある。うーむ、どうしたものか、考えが違うのか、などと悩んでいると別の何気ないタイミングでの会話で「○○さんがブログで書いてたあの考え方良いと思う」みたいな話が出てきて、「それ僕が言ったやつじゃん」とか思うことがしばしばあった。僕が言っても納得してもらえないけど、発信者によっては同種の意見でもすんなり腑に落ちるということがあるようだ。そんなことを考えていた。どうしてこういうことが起きるのか、もう少し考えておこうと思ってこれを書く。

発信者の信頼度が高い

僕が言う言葉は「僕」という存在から発せられた言葉なので、僕の信頼度が低いとその言葉も信頼してもらえない可能性がある。そして同じ内容であっても信頼出来る人から発せられた言葉だとそのままの信頼度で素直に腑に落ちる、ということは起こりうる。ゲーテは「人間は自分が聞きたい言葉しか聞かない」と言ったらしい*1が、まさにそういうことだろう。これは自分自身も注意しなくてはならないと思う。誰が発したかは情報としては重要だが、思想としては重要ではない。人ありきではなく、内容をベースに思考していきたい。

本当は伝わってない

「いやそれ僕がこの間言ったやつじゃん」と自分では思っていても、実際はちゃんと伝えられていなくて相手に上手く受け止めてもらえてないというケースも考えられる。以前も伝えないと伝わらないという話を書いたが、実際伝えたつもりになっていてもちゃんと伝えられていない状況というものはそんなに珍しいことではない。

tokidokidj.hatenablog.com

伝えることは一方通行ではなくて、「伝わること」を意識してないとなかなか上手くいかない。コミュニケーションは双方向的なやりとりなのでそのことを忘れないようにしたい。

実は違うことを言っている

「いやそれ僕がこの間言ったやつじゃん」と自分では思っていても(2回目)、実際は違う発信者が伝えている内容は自分がかつて発した内容と違うことを主張していてそれを「自分に都合よく解釈して勝手に憤っている」という可能性もある。これは先程の「人間は自分が聞きたい言葉しか聞かない」と同じで「人間は自分が伝えたいようにしか考えていない」とでも言えるだろうか。どうしても驕り高ぶりのようなものは発生してしまうので、過去に話しをした内容では不完全だったのにより質の高い情報が入ってきた時に「そうそう自分もそう思ってた」と勝手な解釈をしてしまうようなことの無いように気をつけていきたい。

結び

なにかを伝えようとして、伝わらないと悔しい。そして同じ趣旨のことを他の人が発信したときに伝わるというとさらに悔しい。だが、結果だけ見れば当初自分が意図していたことは達成できている。そう考えれば手段はどうであれ目的は果たせているのだ。まずはそれを喜び、ウジウジしないで前に進むことが重要だろう。そして今後似たような状況に陥らないために*2、「自分も同じ主張をしていたつもりだったがなぜそれが伝わらなかったのか、どこに問題があったからストレートに伝わらなかったのか」を相手と一緒に考える時間を持とうと思う。

*1:なお出典は不明なので本当かどうかはわからない

*2:やはり精神衛生上よくないため