ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

うまく書けない

先日あんな浮かれたことを書いているのに、気持ちの重さが酷い。なんだかいろいろと悲しいことが多すぎた。仕事で大きなトラブルがあったり、京アニの件だったり。自分よりももっと辛い、悲しみを感じている人がたくさんいることは重々承知している。それでも僕は悲しい。それなりの時間を生きてきて、しんどい経験や辛い災害、悲しい事件もそれなりに見てきたはずなのに。

はずなのに、と書いてみたけども昔からずっと思っていることがある。人は悲しみには慣れることができない。個別具体の例は時間が経てば少しは楽になるかもしれない。でも、また新たな悲しみに直面した際に「いままでだって悲しいことはあった」と慣れで受け止めることはできない。

いつだって、誰かが死んだら悲しい。人だけじゃなく、他者の死には食らってしまう。辛い。 こんなに悲しいのなら誰よりも先に自分が死ねばこれ以上悲しみを受けなくて済むのでは、と若い頃は真剣に考えていた。

でも今は僕にも死ねない責任や理由がある。だから自分の意志では死ねない。しかし、こんなにも悲しくて辛いのであれば、この世こそが真の地獄なのではなかろうか。