ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

心の依存先についてのここ最近の考え

ちょっと前にこんなブコメを付けた。

“依存先”を増やすと、一つ一つが自分を占める割合が低くなるのでメンタルが安定しやすい?「そっか、仕事が一部って考えればよいのか」「他の事に依存できる時間がない」

非常によくわかるしある程度有用だが、経験談として「全てがうまくいかないタイミング」というのも来ない訳ではないので要注意です。個人的な突破口としては右のグラフに「宇宙」を足し「宇宙レベルで考えれば文字数

2018/10/25 16:59
b.hatena.ne.jp

ざっくり内容を説明すると、「特定のコミュニティに依存してるとそこが苦しくなったとき自分をとりまくすべてが苦しいようになっちゃうから拠り所が複数あると精神的に詰まなくていいよ」というtogetterに対して「複数ある拠り所もすべて苦しくなることがあるから気をつけたほうがいい」というコメントを入れた、という次第。

これは完全に実体験で、依存先を分散すること自体は悪くない選択だと思うがそれで完全に詰まなくなるわけではなく「複数の拠り所すべてで精神的に死ぬ」という過去があったから得た教訓だ。さらに補足をすると、ブコメでは「宇宙」の概念を取り入れることで「まあ宇宙レベルで考えるとどれも些細なことだな」と無敵になれるため、そういう荒唐無稽な必殺技を手元に持っておいた方が死を回避できる可能性が高まるという話である*1

そんな偉そうなことを言いつつ、なぜ今わざわざブログにこのことを書いているかというと、現在進行系でかなり複数のコミュニティで精神的に死んでいるからである。

コミュニティ

いま僕は複数のコミュニティに属している。自分が経営している会社、それとは別に参画している企業、自分がオーガナイズしている音楽イベント、レギュラー参加している音楽イベント複数、その他プライベートの付き合いなども入れていいとすればその様々な人間関係*2。その全てで精神的に参ってしまっている。結果が出せていないわけではないのだが、自分の信条に適うことや、自分が楽しいと思えること、楽しいと思える関係が築けていない。あまり外にそういう気持ちが現れないタイプのようなので、どこまで各コミュニティで勘付かれているかは不明だが、連絡のレスポンスの遅さなどからバレていることもあるのではと思う。

なにが楽しくないのか

それがわかったら苦労しないのだが、なにかヒントにでもなればと自分の中から絞り出してみる。一つはわかりやすいところで「自分の信条に適うこと」ができていないという点だろう。会社でいえば数字の達成はできているが、自分が何をしたくて会社を経営しているのかを考えると明らかに「したいことができていない」という現状があるからだ*3。音楽関係でも同じ。「お客さんは入ってるし楽しんでもらってると思える結果は出ているが、自分がやりたい音楽ってこういうものだったのか」という戸惑いがある。

ふたつ目に「結果が出せていないわけではない」というところかもしれない。結果が出せていないわけではない=及第点ではあるが最高得点ではない、というところにあるのではないか、そう考えたりもする。決して悪くはないんだけど、の「だけど」が出た時点で満足できる結果ではないということが現れているあたり、ここで自分の中での消化不良を起こしている可能性はある。

みっつ目に、単純に人間関係が面倒になっているというところがある。経営者的に自社の人間関係が面倒とか何いってんだという感じはあるが、僕も人間だからしょうがないと思っている。もちろん人間関係うんぬんとは別に、仕事は仕事で全うしているが、腹の中がモヤモヤしたままで仕事をしているのが非常に厳しい、という話だ。音楽関係やプライベートの人間関係でも同じである。ただ楽しく話をしたいだけなのに意味不明なマウンティングを垣間見てしまったり、なにが原因で生まれたかわからないバイアスがかかったコミュニケーションに巻き込まれると心がすり減る。

解決法

現在進行系で精神的に死んでいるので、これで解決しましたという話はできないがどう抜け出していくかの指針だけ書いておく。一つはブコメでも書いた「宇宙を持ち出して無敵になる」という方法。そして最近考えている方法でこれは有用なのではと思っているのが、「コミュニティに属さない」である。それこそ前提をぶち抜いている話にも聞こえるだろうが、これがどういうことなのか、正確に表すと「すべてのコミュニティに深入りしない」ということだ。コミュニティの内側とも外側とも取れる位置から動かない、あくまで精神的に。音楽を含めてプライベートなコミュニティではこれでいけると思っている。依存先を増やすのではなく、前提として依存しない、というスタンスでいることですべてのコミュニティで受けるダメージを最小にするという試みである。字面だけみると非常に孤独で独居老人孤独死待ったなしに見えるが、現代の多様な世界のあり方の中で生きる人間としては悪い選択ではないと思う。他の人がどう捉えるかはわからないが、孤独な生活/孤独な死が不幸であるというふうに盲目的に考えるのもどうなのか、という主張でもある。僕のように対人関係から受けるダメージでどうしようもなく心をすり減らす人間としては、心の安寧のために孤独を選ぶという行為が他者から非難されるいわれなどないからだ。複数のコミュニティに属しながらも、心は常にそこに依存せず、あくまで自己を中心に置いて生活する*4。これはこれで精神力が必要だが、やってみて損はないと思う。新しい自己中心主義である。

難しいのが会社での問題だ。業務委託的に会社に携わっている人間であればそこでも上記のようなスタンスで生きていけるとは思うが、あいにく僕は経営者である*5。零細、ベンチャー、スタートアップ、どういう呼び方になるのかは微妙だが、そういった小さな企業において業務委託的な精神で仕事を行うのはなかなかに難しいところがある*6。その中で自分の精神を壊さないためにどう動くかを考えると、人間関係の部分においては精神的な距離をおき、こと仕事の面でのみいままで以上の熱量を持って取り組む、という方法以外ないのではないかと思う。完全結果主義的な仕事の仕方だ。これであれば人間関係的な距離は置きつつ、業務においては問題なく100%以上の結果を求めて走れそうだ。この切替はかなり体力が必要になると思われるが、結果的に自分の心が死んで経営する会社を投げ捨てることのないようにこのスタンスで少しの間効果検証をしてみようと思う。

ただ、一点だけ注意する必要があるのは、人間関係的な視点をすべて取り払って仕事をする際にありがちな「会社のブラック化」だけは避けなければならない。ただでさえ「ボードメンバーは業務委託的なマインドでは厳しい」的なことを上でも書いてしまっているとおり、裏返せば「言われたことをやるだけじゃなくて自分で考えて動いて当然」「求める結果に至らなければなにがなんでも達成に向けて動くべき」という思想が垣間見えるからだ。この考え方は悪い方向で突き詰めていってしまうとブラック企業のやり方そのものになってしまう。自分の精神的な死を回避する一方で、そのために他の人間を精神的な死に追いやることのないように、そこだけは強く強く注意していきたい。

*1:他のブコメで言及されていた「宗教」でもいいと思うが、宗教コミュニティも「人と付き合う」ようになってしまうと無敵になれないので、あくまで「神のみ」を敬虔に信仰する心の強さが必要になると思う

*2:地元、高校時代の友人、大学時代の友人、社会に出てからの友達、などなど

*3:とはいえ社員の生活がかかっているので経営者のジレンマ的なところが多分にある

*4:この「自己」がぶれそうならその時は「宇宙」を軸におけばいい

*5:別の企業の方でも役員として入ってる

*6:もちろん業務委託の人間はそのとおりのスタンスで問題ないのだが、実際問題日々降り掛かってくるトラブルをどう解決していくか実務にあたっていると最低でもボードメンバーはかなり前のめりに熱量を持っていないと厳しい部分がある