ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

僕とスニーカー

スニーカーが好きだ。靴全般が好きで、昔は本気で靴作りの職人になりたいという夢を見ていたこともあった*1。ただ、靴が好きになったきっかけは確実にスニーカー。今でこそオフの時にしか履かないし、昔のように収集したりしなくなってしまったが、未だに愛は無くなってないと思ってる*2今週のお題(予約投稿で投げるのでもう「先週のお題」になってると思うが)、「お気に入りのスニーカー」についてざっと書きたい。

お気に入り

多分書き出すと止まらないから各ブランド1足にしておこうと思う。

VANS - OLD SKOOL

人生ではじめて自分の小遣いはたいて買ったのがOLD SKOOLだった。当時の僕はDOGTOWNのスケーターに憧れて、フリースタイルとかにのめり込んでいた*3。DOGTOWNのワンポイントが入ったTシャツが欲しかったが、当時DOGTOWNなんてドンキホーテで怖いにーちゃんが買うような服しか無く、「僕の好きなDOGTOWNはこんなんじゃないのに…」といつも肩を落としていたが、VANSのOLD SKOOLは手に届くところにあった。新宿の古着屋で買ったUSデッドストックのスウェードのOLD SKOOL。オーソドックスな黒白だけどスウェードだからABCマートに売ってるようなものとは違って見えて、アウトソールのガムソールが最高にクールだった。スケートもしたしいろんなところに履いていった。楽しいことも辛いことも一緒に経験して、本当に「一緒に育ったスニーカー」だった。あまりによく履いていたから5年くらいでアウトソールも貫通する穴が開いてしまって泣きながら手放したが、今でも僕のスニーカーの原点はVANSで、いまはhalf cabを履いているけど、足の裏に感じるVANSの心地よさが忘れられないからこれを選んでるんだなとふと思うことがある。

NIKE - DUNK

NIKEは本当に色々買って、履いて、遊んだ。僕がスニーカーにドハマリしていた当時、SBがリリースされて筆頭はやっぱりDUNKだった。シンプルだけど完成されていて、AF1だとちょっと質感が重い/AIR JORDAN1だとスタイリッシュ、DUNKはその中間でボリューム感と軽さが最高のバランスだった。SBはZOOM AIRだったからは着心地はフワフワ、ホールド感はかっちりで足とスニーカーが一体になったような気分になれた。特にDUNKはカラバリが豊富だったから収集も捗った。HAZEとのコラボや、ハイカットのキャメル(STUSSYコラボのやつと配色が似てるやつ)、上海2や黒スウェード×ガムソールとかもよく履いてた。青春だった。高校の昼休みに学校抜け出してスニーカーショップに買いにいって、放課後スニーカーの箱を3箱抱えてホームルームを受けたりしたのもいい思い出だ*4。当時通ってた高校がかなり寛容なところだったので「お前は本当にスニーカーが好きなんだな、今度は着心地のいいおすすめを教えてくれ」なんて先生とのやりとりも平気であった。今思い出せばイカれてる。DUNK、僕の大好きなスニーカー、いまでもずっと想ってる。

ADIDAS - GAZELLE

RUN DMCに憧れてシューレースレスで履いたSUPER STARや、beastie boysになりたくて履いたCANVASなども捨てがたいが、一番長く履いてたのはGAZELLEだと思う。GAZELLEは細身のフォルムがヨーロッパ古着に合うのだ。こいつは本当に長く履いていて、10年くらいは現役のローテーションに入っていたと思う。何年か前に中国に出張にいった際に履いていたらソールがぶっ壊れるというアクシデントに見舞われ、中国のファミマで接着剤を買って応急処置をしていたら現地の社員に「そのスニーカー、そこまでして直して履くってことは本当に好きなんだね」と言われた。愛してると言っても過言ではない、笑顔で返した。3足挙げた時点で全部愛してる、浮気性だと思われてもしょうがないし、現にスニーカーに関しては浮気性なのかもしれないけどしょうがない、全部愛しているのだから。

REEBOK - PUMP FURY

2年前くらいに人気が再熱しててびっくりした。僕がFURYを買った時はミレニアムのあとで、AIR MAX95やPUMP FURY、DISC BLAZEなどハイテクスニーカーブームが過ぎたあとだったから、履いていると結構色モノ扱いされてたのに。PUMPで一番はいたのは黒紫赤、次がトリコロール。FURY MILLENNIUMの黒革なんかはドレッシーな場に履いていった。下駄ソールが割れて泣いたし、ピストのペダルがガッチリハマってしまってペダルから足が外れなくなって死にかけたり、よく笑ってよく泣いたスニーカーだった。当時の憧れはシャネルPUMP、似た色のグレーが発売された時は速攻買いにいって、買ったその場で履いて帰った。家に帰ってポンプの空気を抜く時、プシュっという音で「今日も1日終わったな」と感じるあのスニーカーは、シューレースをなくすという未来的な思想以上に、人の生活に密着して「明日を運んでくれる」、そういうスニーカーだったと思う。

NEW BALANCE - M1500

今でこそ改めてNEW BALANCEが定番として再認識されているけど、ほんの数年前まではNEW BALANCE=ダサいって思ってるひとが絶対多かった。とんだ手のひら返しだと思う。まあ恨み節はいいとして、M574が「安価でおしゃれ」とストリート界隈で人気を博していたとき僕はM576UKやM576US、MT580なんかをよく履いていた。みんな大好きだったけど、憧れていたのはM1300、ラルフローレンに「雲の上の歩き心地」と言わしめ、坂本龍一が履いていた最高に大人のラグジュアリースニーカーだった。憧れていたけど僕には手が届かなかった、そんな時にM1400とM1500は穴場だった。M1400を2足買い、次にどう出るかという時に出会ったUNITED ARROWS別注の白スウェードのM1500は僕にとって完璧だった。未来的なハイテクなフォルム、だけど上品さが確実に漂っていて、白のスウェードで細紐という大人びた外観。大人と子供の中間のような年齢だった僕にはこれ以上無いパートナーだった。履くのはちょっと特別な日。大人になれる一瞬。甘美な時間だった。とてもとても、甘美だった。

PUMA - REPTILE

大名作SUEDEとその前身であるCLYDEにはファットシューレースを通して歩き倒してたが、思い出深いのがREPTILE。Amazonのリンクだと上記のものしか無かったが、僕の履いてたのはハイカットで黒×スネークのちょっと大人っぽいやつだった。ヨーロッパのストリートスナップPLEYMOのベースB1*5がやっていたように、「片方はベロ出し、もう片方には裾を入れてシューレースを上まで締める」という履き方でカッコつけてた。昔SNEAKERPIMPSというイベント*6が日本に来てパーティをやったときや、スニーカー映画『JUST FOR KICKS』を観に行った時に履いていったらいろんな人に「ヤバいねそのキックス!」と声をかけてもらった。当時は若かったし、珍しさもあってだと思うけど、やっぱり鼻が高かった。こちらはアウトソールが加水分解してぶっ壊れてしまった*7けど「ビシっとキメる」ときの定番アイテムだった。今スネークのスニーカーを履かなくなったのは年齢のせいもあるけど、君を忘れられないからなんだよ。

結び

本当はもっともっと愛したスニーカーはたくさんある。国産ブランドのUBIQやTASも大好きだったし、イギリス人デザイナーと日本人デザイナーがやっていたCALLAS、ニューヨークからALIFEやおしゃれにキメるときのCREATIVE CREATION、無骨にキメたい時はKKOKを履くのも大好きだった。なんだかんだCONVERSEのALL STARはついつい履いちゃってたし、服は着ないけどAPEのスニーカーはよく買ってた。オニツカタイガーを履いてたときは「それキル・ビルで観たことある!」とか言われて「みんなアシックスのイメージ持ってるから履かないけど超いいよ」とかドヤってたし、GRAVISやSAUCONYのスニーカーは安価で買ってスケートするときの友達だった。PRO KED'Sはストリート、ちょっと外すときはKED'Sのクラシックなフォルムが最高に好きだったし、PONYのスニーカーを履いたらKORNのジョナサンデイビスになった気分だった。スニーカーは最高なんだ。だって、大好きな玩具を身に付けて歩けるんだもの。今でも、これからも、ずっと愛してる。

今週のお題「お気に入りのスニーカー」

*1:新海誠作品で『言の葉の庭』が好きなのは靴職人に対する憧れが未だにあるからなのかもしれない

*2:実家に眠っている数十足のスニーカーたちもそろそろ開放してやらねばならない

*3:近所でプールスケートなんてできるところがなかったため

*4:LAに住んでいた友達に頼み込んでDAY OF THE DEADのモデル(当時プレ値で30万くらいついた)も定価で買って送ってもらったりしてた

*5:超オシャレで当時の僕のファッションアイコンだった

*6:全米を回るスニーカーイベント

*7:もともと古いスニーカーだから致し方なかった