ときどきDJ

ときどきDJをやっているIT系の人の殴り書きです。

メンターが必要という話がようやくわかってきた

いままで所属してきた会社でメンター制度なるものは経験してきたが、それによって何が得られるのかがよくわからなかった。今の会社ではメンター制度がないけど別に困ってないしと思っていたところ、ふとした時に「メンターは必要」という言説の意味がわかった気がしたのでまとめておく。

きっかけ

ここのところ会社ではお山の大将的なポジションにいるので、あまり自分が注意されるという経験がなかった。もちろん細かいところでは注意されっぱなしだが、「自分より偉い」というポジションが減ると知らず知らずのうちに傲慢になっていたようだ。昨日『「今日もいい仕事してしまったな」と言って寝る』というエントリで

慢心することにだけは気をつけたいと思う

ということを書いたのも、やはりちょっと傲慢になってるなという気持ちがあったので書いたというところがある。なぜそれに気づいたかというと若い人と飲んでると説教するという事実に向き合ったからだ。

毎回飲み会の度にしょうもない説教をしてしまい、翌日二日酔いのさなか「なぜあんな老害感を...」と自己嫌悪に走ることが多々あった。そこで「なぜ説教してしまうのか」を考えたところ行き着いたのが「自分より偉い人と話す機会が減っている」ということに気がついた。

なぜ偉い人と話さないと傲慢になるのか

ある程度のポジションになった時点で自分の意見に反論される割合が減る。そうすると基本的に自分が正しいという思い違いが生まれ、結果なにか気に食わないことがあると、上からそれを退けようとする傾向にあることに気がついた。なんと未熟なことか。

しかし、そこで起きていることと同じように、自分よりも偉い人と話をすると

  • 自分よりも「もっと正しいこと」を知ってそうな人からの意見を聞ける
  • 敬意を持って「聞くこと」に臨む気持ちになれる
  • 反論したくなっても「その人が言っていることが本当なのか」を真剣に考える気持ちになれる

ということが起きる。おわかりの通り、こういう気持ちは別に「自分よりも偉い人」だからそうするべきなのではなく全ての人に対してそうあるべきであろう事柄だ。こんな単純で当たり前のことでも人間は綺麗サッパリ忘れてしまう*1。だから当たり前のことを当たり前にやることがいかに難しいかを再認識するために、偉い人と話するのは有効だと思ったのだ。しかし前述の通り、「僕より偉い人」という存在があまりいない組織に属している場合にはどうしたらいいのだろうか。

そこでメンターの登場

メンターというのは必ずしも上司がやるというものではない。あくまで自分が尊敬できる助言者がメンターとしてふさわしいのである。別に自分の組織にかぎらず、尊敬出来る人ならいくらでもいる。そういう人ともっと話をする時間が必要だったのだ。尊敬出来る人と対話して自分を省みることで「自分より下(便宜上、下という言葉を使う)の人相手にも、自分がメンターにしてもらったような対応が出来ているか」意識することができる。傲慢になるな、そう自分に意識的に言い聞かせることができるのではないかと思った。

気をつけなくちゃいけないこと

メンターという言葉で語られるシステムでは「メンターはメンティーに見返りを求めてはならない」ような要件がありそうだが、僕は可能な限りメンターにも恩恵が得られるようにしていきたい。自分のために使ってもらった時間分、その人に恩返しがしたい。それは自分自身が同じように相談を受けた時に真摯に答える、とかそういうことで還元する形になるんだろうけど、還元したいという気持ちは持ち続けていきたいと思ってる。

もう酔っ払っても無用な説教はしないぞ

自分がされたら嫌なことはしない。強く誓いたい。僕は有能とは言いづらいし、実際本気で説教したい状況もあると思うが、とにかく傲慢になってはいけない。有能じゃないからそれを一人で達成できそうにないので僕にはメンターが必要なのだ。メンターと良好な関係を築くことで僕はようやく普通の人になれるんだ。そういう気持ちで、尊敬の念と学びの姿勢を持って日々生きて生きたい。それを強く意識した今日このごろだ。

*1:人間はという大きな主語ではなく「僕は」なんだけどね