散歩しながらスマートデバイス(特にウェアラブルの中でもグラス)について考えていた。
google glassとかtelepacy oneとか、あとはmoverioやmeta glassもそうだけど
ティザー動画を見るとすごくテンションが上がる。
実際すでに某スタートアップのスマートグラスを予約しているんだけど、
実際にスマートフォンレベルに普及したらどうなるかをぼーっと考えていた。
もしも世界中でスマートグラスを使ってない人の方が少なくなったら。
自分の視界の中にいろんな情報が表示されて、電車の中とかだとずっとメールしてたり
SNS見てたり、あるいはもっと想像できないようなサービスを利用したりするんだろう。
そんなときはスマートフォンでゲームやってたりするのとかとは全く違う感覚で、
世界を見る「視界」の中に一つ全く違うデバイスが挟まることで
世界を直視できなくなるんじゃないか、とものすごく不安になった。
僕はスマートフォンを使っている時、あくまで自分が感じる世界の中で
小さな窓からいろんな世界を覗いているのだと感じている。
でも、もしスマートグラスネイティブの人間が世の中の多数を占めた時に
彼らにとっての「世界」はすでにデバイスを通した先のものになったとしたら。
僕にとってのスマートフォンという小さな窓が
彼らにとっての世界そのものになってしまうんではないか。
僕の経験している世界を情報フィルターなしに見ることができなくなるんじゃないか。
それがいいことなのか悪いことなのかは想像できないけど、
僕の全くわからない世界が広がっていくんではないかと、
僕と、その人たちとが見る「世界」に永遠に分かり合えない溝が出来てしまうんじゃないかと、
漠然とした不安が払拭出来なかった。
基本的に僕はテクノロジーの進化は素晴らしい価値のあることだと思ってる。
でも行くところまで行った場合、いろいろな何かが問われる。
人の生活というものものはみんな美しいものだと信じている。
テクノロジーの進化も素晴らしいものだと信じている。
でもこの不安も、漠然とではあるが確かにあると信じている。