僕はかねてから小林銅蟲氏のブログのファンである。
購読者諸氏なら理解できると思うけど、文章の中毒性に負けず劣らず「大量の美味しそうなもの」を目の当たりにすると人間はそこに酷く官能的でひどく動物的な希望を見出すのである。平たくいうと美味しそうなもの見てるのたーのしー!*1ということだ。そんな小林銅蟲氏のブログの魅力の一つは暴力的なまでの大量買いにもあると思う。
とりあえずキロ単位で買うあの感じ、見習いたい。ところが基本的に僕は少食だし、あまり人を呼んでご飯つくったりしないタイプなので「しかしまー毎回すごい量だな」と思っていた。そんな折、友人数名を呼んで持ち寄りパーティをした時に初のホストとして色々準備してたら大量に買っとく気持ちがよくわかった。
もてなそうという気持ち
せっかく来てもらって食べるもの/飲むものが足りないってのもなんかなと思いながらAmazonや楽天でポチポチやってたらすごいことになってた。
- 魚みんな好きだもんな
- 200gったって可食部もっと少ないだろうしな
- ちょっと多めに買っておくか
- とりあえず2kgと
- ビールはあとから買いに行くのもあれだし一気に買っとくか
- 余っても自分で飲めばいいしとりあえず2箱と
といった具合で、数名だっつってんのにあれよあれよという間にとんでもない量を注文してしまった。なんだろう、足りないより「誰か食うだろ」みたいな気持ちが優先されてしまうように人間はプログラムされてるんだろうか。これに関しては楽しんでもらいたいという「もてなしの気持ち」が過剰に働いた結果、人間は大量購入してしまう生き物なのではという結論に至った。あとは大量に調理するほうが楽*2というのもあると思うが、根源的には「お腹いっぱいになってもらいたい」「あとから追加で買いにいく手間を取りたくない/取らせたくない」というところかと思う。
テンションが上がる
実際頼んでからしばらくして「どう考えても買いすぎた」と一応気づきはしたんだけど、いざモノが届いてみるとわりとテンションが上がってしまい、結果すごく楽しかった。塊肉とか、発泡スチロール箱いっぱいの魚介類とか見てるだけで笑顔になってしまうし、二箱ビールが冷蔵庫の横に置いてあるとここは天国かという気持ちになる。大量の野菜、というものについては今回経験できなかったが、鍋の前にザルに盛られたたくさんの野菜を想像してみるとやっぱりたくさんある=テンション上がるの構図は野菜においても同様に働くものと思われる。
美味しいものはよい
無駄にするということさえしなければ、美味しいものがたくさんあるというのは大変に幸福感を得られる状況だということがよくわかった。そう考えると、なにかを買う時に大量購入する気持ちに納得感が出てきた。とにもかくにも美味しいものをたくさん用意したいのだ。ただただそれだけである。美味しそう=たのしい、たくさんある=すっごいたのしい、そういうことだ。
話変わって
小林銅蟲氏といえば低温調理で名を馳せる方だが*3、低温調理つながりだとぶち猫女史のブログも大好きなブログのひとつ。
buchineko-okawari.hatenablog.com
小林銅蟲氏のあげる圧倒的な写真もよいが、ぶち猫女史のあげる写真はとにかく雰囲気が出ててすごい。どちらが偉いとかどちらが優れてるというわけではないことを前提に、ぶち猫女史の写真はみんな料理本のいちページみたいでめちゃくちゃ洒落てる。みんな美味しそうだし、料理うまい人ってすごいなーと毎回ワクワクする。ちなみに小林銅蟲氏の写真で好きなのは低温調理カツ丼と、牛タン。anova導入以前の写真も好きなの一杯あるんだけど、牛タンは
やけました。細い側がうまいゾーンで、太い側が超うまゾーンです。
62.5℃で正解だと思います。たぶん63℃でも平気。この状態だとグニャグニャでもゴリゴリでもなく、ちょうどいいテクスチャでサクサクと噛み切れます。究極なので、昔の人は世界を大きなタンのような形だと考えていました。
という文章と相まって一番好き。
ぶち猫女史の写真で好きなのは「週末の愉しみ 日本酒魚会」の蒸し牡蠣。でかい鍋いいなーと思いながらスクロールした際に遭遇できるの牡蠣の美しさよ。あと週末に持ち寄りで日本酒を魚で一杯ってすごくおしゃれな大人の嗜み*4で憧れる。
buchineko-okawari.hatenablog.com
なんにせよ
美味しいものは楽しいし、見てて美しいし、多幸感あるからみんな大量に買ってたのしくめしにしましょうというあれでした。